■最も優しく醜い歓喜



 あの男は罪人だ。生きるに値しない屑だ。それ以外に私が奴に抱く感情は無い。憎しみだ。憎悪の対象だ。私の手はあの男の首を刎ねるためだけに存在し、私の足はあの男を追い詰めるために在り、私の口はあの男に贖罪するよう命じるためにある。 秀吉様のため、それが私に与えられた使命。命を賭して遂行しなければならない目的だ。その標的に他ならない。

 家康がどのような男かだったかなど、知りたくもない。貴様が知る家康と私の知る家康は別物だ。抱く憎しみの深さが違うのだ。貴様の知る家康がどのような男であろうと、私が聞いて理解できるものではない。今更知っても意味は無い。あの男は私を、秀吉様を裏切った。罪人だ。咎人だ。死ぬべき人間だ。貴様と家康がどのような仲であろうと何も興味は無い。そもそも貴様はあの男を恨んでいるのだろうが。家康への好意を振り返って、その時の奴の演技に胸を躍らせようが、それはただの自己満足だ。自己陶酔だ。今がどう変わるわけもない。

 演技でなければ何故奴は私を、否、貴様を裏切った? 途中で心変わりしたとでも? ならばどこで心変わりした問題が発生したのだ? もしも奴が心変わりした原因が貴様だとしたならば――貴様のせいだろう、長曾我部。振り返り、己のしたことを今一度考えてみろ。もしも家康の変化のきっかけが貴様であるならば、それのせいで家康が我らを裏切ったのだとしたならば――今、ここで貴様の首を刎ね、秀吉様に捧げてやろう。
 私のせいだとでも言うのか。馬鹿なことを。私は家康が豊臣に下ってから何も変化は起こしていない。奴が変わったのか、それとも、奴が豊臣に下る前から、画策していたかのどちらかだとして、前者であろうと、私は何も関係は無い。
 秀吉様に変化も無い。秀吉様は何もお変わりない。半兵衛様が亡くなっても、秀吉様は揺るがなかった。揺るがず、曲がらず、強く――我らの覇王で在らせられたのだ。
 家康が裏切る前日までも、奴はなんら変わりなかった。始終笑みを浮かべ、奴の陰口を叩く輩にも笑顔で接し、刑部の病を気にし、私に怪我をしないよう労った。秀吉様にも、何も言ってはいなかった。

 端から裏切る男だったのだ!!

 奴は秀吉様を崇拝していなかった。秀吉様のために命を賭していなかった。秀吉様よりも部下を、民を、あの下賎な屑どもを優先する、碌な目玉もついていない木偶の坊だったのだ! 人間の優先順位をつける脳味噌もついていない、愚かで間抜けな狸だった! 死ぬべき屑だ! 私は――信じていたのに!
 私と共に秀吉様のために生き、秀吉様のために人を殺し、秀吉様のために戦を広げ、秀吉様のために息を吸い、秀吉様のための壁となり、秀吉様のための泥土となり、秀吉様の歩む道のりの土くれの一つとなり、秀吉様のために誇りを捨て、秀吉様のために理念を捨て、己の全てを秀吉様のために使われる道具の一つとして用意し、秀吉様のみを感じ、秀吉様のための奴隷となり、秀吉様の赦しなくして眠ることも食すことも呼吸することもなく、秀吉様の命令だけを絶対とし、秀吉様のためだけに死ぬものだと――信じていたのに!! 裏切ったのだ! あいつは! 私の期待を! 秀吉様からかけられた恩赦を忘れ――あの、塵が!!
 殺してやる、八つ裂きに、ばらばらに切り崩してやる!!

 奴の目には藁が詰まっているのだ。秀吉様の偉大さが、強靭さが、素晴らしさが、理解できない屑のような脳味噌が詰まっているのだ。だから奴は、私のことを口先だけで、信頼していると、身体を労われとさらさらと間抜けなことを口にする。お前のこともどうせそうだろう。親友だと、生涯の友だと、友情を簡単に誓ったのだろう。

 奴は、そんな大切な貴様一人よりも、何千人という顔も知らん輩のために貴様を裏切るような屑なのだ!
 奴は人間の優先順位が無い! 秀吉様とそこらをのこのこ歩く塵の違いが分からん馬鹿なのだ! 奴にとってどうせ貴様もそこらの蟻と同列にしか感じなかったのだ!

 それはこの私も同じだ。奴は私を友だと言い、背中を預け、共に戦場を駆けたというのに――この国の弱者のために私を殺す、屑だ。憐れな馬鹿だ。脳無しだ。
 さぁ――これで分かっただろう。私と貴様の、憎しみの差が。私の憎しみには秀吉様の言葉が、秀吉様の意思が宿っている。貴様のような一介の生物と、秀吉様の無念が、つりあう訳が無い。話にならんのだ。
 家康を殺すのは私だ。
 家康を殺すのは、私だけだ。
  2010/11・27


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