■最も悲しく美しい凶器



 豊臣秀吉の左腕である三成と、ワシが戦場を共に駆けたのはそう多い訳ではない。三成のような半兵衛の命令を忠実にこなす将と、ワシをわざわざ同じ場所に置く必要はないことぐらい当たり前だろう。主に挟撃の形を取った戦法の場合、ワシらは別々に移動し、最終的に落ち合う図が多い。落ち合ったとしても、戦が終われば三成はすぐに秀吉の下に侍るし、ワシは己の部下を弔い、労わり、指示を与える仕事がある。しかし半兵衛は何故か積極的にワシらを同じ場所に置くように計らった。ただ若い故か秀吉を盲信しすぎる性質のある三成に、多くの種類の人間と接触させようとしているようにも思えたし、ワシに体のいい見張りをつける狙いがあったのかもしれない。しかしまぁ、一部ではワシのことをそれなりに高く評価している故に、豊臣にもっと身を近づけさせるため、己が信頼しているということを三成を預けるという形で示そうとしている、とも噂されたが、それは半兵衛にしか分からんことだ。
 ワシは三成を哀れんでいた。今も、まぁ、悲しいと思う。哀れみというものは主に相手を下に見る風のあるものであるから、ワシは他人を、あまり哀れむという行為があまり好きではなかったが、しかし、三成をどうしても哀れんでしまうのだな。この男の人生は、この男の幸福は、一体どこにあるのだろう、とワシは度々、考えた。秀吉のために生きること、秀吉のために死ぬことに幸福を見出すということが、ワシにはどうしても、幸福とは感じられなかったのだ。秀吉がどれだけ名君であろうと、けして他人のために生きて死ぬことは、ワシにとって幸福とは考えられなかった。それが己の勝手な理想論であろうと、しかし、人にはちゃんと生まれてきた意味があると、そう信じたかったのかもしれない。
 人に祝福されるために生まれたのだと、そう思いたかったのかもしれない。
 秀吉を祝福し、秀吉のためだけに生きる三成は、ならば誰に祝福されるのだろうか、とワシにはそれが、分からなかった。人として産まれた意味を。人として生きる価値を。それを、持って欲しかった。己の価値を知らないものが、他人につけられる価値を正しく受け入れられるわけも無いだろう?
 三成はとても純粋な男だ。秀吉に言われたことを素直に飲み込み、半兵衛に言われたことを忠実に守った。己の意見を口にしたところを、ワシは今まで一度も見たことがない。ところで、気付いていたか? 三成は半兵衛に手塩にかけて育てられていたが、軍略等はまったく覚えていないのだ。そう。将だ。だが、あれはまさに忠実な豊臣の兵の姿だ。
 知略を持たず、言われたことを忠実にこなす、力のある兵。中途半端な知識を入れて、もしも半兵衛の策にないことを己で行動し、それがいい方向に転ぶのはいいかもしれないが、悪いほうに転んだらどうする? そうだ。半兵衛は三成に、軍略というものを一切教えていない。己の敵にだけ猛進する、血に飢えた獣と同じだ。違うのは、上からの命令は素直に聞くという点だがな。覚えているか? 以前、お前の挑発に乗ってのこのこ東にやってきて、西で大暴れした官兵衛に痛い目に合わされた三成を。子供でも分かるようなことを、三成は考えもしない。あいつは秀吉のことしか頭にないのだ。
 馬鹿? はっはっは! まぁ、そうかもしれないな。そういう言い方もある。しかし三成は力がある。いくつかの難関があろうと、その与えられた任務を遵守するため、力ずくで推し進める力がある。その点は、半兵衛に無かった点だな。二兵衛と言われていたが、どちらかというと半兵衛と三成こそが、二人で完璧と言った所だろう。あの二人がいれば、何も恐れることなどない。
 
 三成には、秀吉しかないのだ。本当に。
 ワシか? そうだな。そこが、三成は変わったな。あいつはずっと変わらないものだと思っていたが、驚いた。ワシが憎いと。当たり前だが、ワシは結構、驚いたのだ。憎まれることなど当たり前だとは思っていたが、ああ、そうだな。何故ワシは、驚いたのだろう。そうだ。そう。三成が、ワシが裏切ったと言ったからだろうか。
 いや、自覚はあったさ。ワシは三成を裏切った。あいつは裏切りを憎むが、しかし、あいつがワシを憎むのは、秀吉を殺したからだけだと、思っていたのだな。
 ワシが裏切っても、秀吉を殺した憎しみに消えてしまうと思っていたのかもしれない。ワシのことを、身内だと考えていてくれたということが、予想外で、驚いた。
 そう、そうだな。三成はワシが思っている以上に不器用で純粋で美しい生き物だった。全身硝子でできているのかもしれない。ワシはあの中に秀吉への思いしか詰まっていないと思っていたのだが、しかし、それ以外にも心はあったらしい。
 三成はいい人間ではない。悪人と言っても、いい。何かのために人を殺すのを、ワシは許せはしない。ワシは罪深い人間だ。ワシもいい人間ではない。悪人だ。悪党だ。三成も悪党だ。ワシは、何かのために己の野望を推し進め、人の人生を奪い、突き進むことを、何があろうと許しはできない。ん? 勿論お前もだ。別にいい人扱いされたい訳じゃないだろう? 
 そうだ。戦をする人間も、戦に加担する人間も、良い訳が無い。ワシは、戦を『悪』だと、思う。それが人を救うための戦であろうと、そのために人が死んでは何も、意味は無い。だがワシは人を殺して人を生かす。少数を切り捨て多数を守る。悪人になろうと構わない。ワシは人が人らしく生きて人らしく死ぬ世を造りたい。それがワシの我侭であることは承知の上だ。どれだけ恨まれようと、止まるつもりはない。ワシは既に犠牲を出しすぎた。ワシを信じてついて来てくれた者を、裏切ることはできない。ワシは、国主なのだ。そうやって生きて、死ぬ必要がある。

 ん? 三成が好きかだと?
 ああ、勿論好きだ。
 殺せるか? 三成をか? 当たり前だろう。何を言っているんだ。さっき言っただろう。皆を裏切れないと。
 悲しまないなんてこと、できるわけがないだろう。
 悲しいが、殺すさ。独眼竜、不思議なことを聞くな。お前は目の前の人を殺す時、悲しくないのか? 兵として徴集される前は、田畑を耕し家族のために働いていた、どこかの民が、生きるために慣れぬ刀を持って人を殺す姿を見るだけで、悲しいというのに、それを殴らなければならないというだけで、悲しくはないのか?
 ・・・・・・そうなのか。ワシは、悲しいなぁ。
 悲しいが、止まることはできないだろう! 何でそんな変な顔をするんだ・・・。人を殴るのは悲しいし、人が死ぬのは悲しいし、人が殺すのは悲しい。当たり前だろう?
 三成を殺すのは悲しいが、殺さなければならないだろう。三成を殺せば何人助かると思う。ワシには検討もつかん。しかし、人が助かるとわかっているのに、それでも誰かを殺さなければいけないのは、苦しいな。
 三成との絆はすでに、断ってしまった。繋ぎ直すことはできるかもしれないが、それより殺してしまったほうが早い。ワシは早く、平和の世を造りたい。今でも餓死する子供や病で死ぬ人がいる。そう思うだけで、三成を殺さなければと逸る。
 ああ。殺したくない。殺したく無いが、殺さなければならない。避けては通れない。当たり前だ。そういう世の中なのだ。ワシは神ではない。人一人、望むように助けられない。ただの人だ。だから殺してでも誰かを守る術しかしらない。
 どうでもいい人間なんていない。
 会った事の無い人も、不幸になってほしくない。
 会った事の無い人のために、三成を殺す。
 悲しいのはワシが我慢すれば、何百人と人が幸福になる。
 やることは一つだ。何も変わりはしない。ワシは決めたのだ。揺るごうと惑おうと、止まれない。
 昔の友を殺す。

 殺したくない? ああ。そうだな。正直、やりたくない。もしも三成が今大阪城辺りで病死したら、悲しいだろうが、だが、安心もするかもしれない。いや、むしろ嬉しいかもしれないな。戦をする必要も無いのだ。兵が死ぬ可能性がまた減ったというわけでもある。他の人に三成を殺してもらいたいとは、流石に思わないが、殺されたら殺されたで、何も思わないだろうな。悲しくて、そして嬉しいだけだ。
 平和になる夢が叶う。人が人を殺す世が終わる。乱世が終わる。それだけで、十分だ。ワシの悲しみなんてきっと薄れるだろう。
 そう信じたいだけかもしれないがな、まあ、そんなものだ。
 人間、五十年・・・と、まぁ、いつかはこの乱世も、夢幻の如くだったと、笑える日が来るだろう。きっとな。

 ・・・・・・三成がどのような人間か、ワシは、実はよく分かっていない気がするのだ。
 付き合いは浅いがしかし、ワシはあいつが好きだった。友だった。しかし、ワシは三成のことを秀吉を崇拝する兵ということしか分かっていない。薄情だと思うか? しかし、実際、それが真実なのではないか? 三成には、豊臣のために動く命しか持っていないのではないか?
 三成が好きなものを、まぁ・・・お前は勿論知らないだろうが、ワシもよく知らん。趣味も知らん。休日に何をしているかと言えば、仕事をしている。鍛錬をしている。しかし修行が好きかと言えば、別に好きでもなんでもないという。強くなることは豊臣のためだと言う。そんな三成の、三成らしさというものを、ワシはよく分からんのだ。

 お前はそれを欺瞞だというか。しかし、何も持っていないあいつに、豊臣しかないあの男と、心を通わせられたかと問われれば、ワシは是――とは言えん。ワシはあいつを友だと思った。背中を預ける仲間だと思った。それはあいつの豊臣に信服する心を信頼していただけで、本当に三成そのものを信頼していたかと、聞かれたら、分からん。三成に己はあったのか、それさえも、判断がつかんのだ。
 生まれたばかりの赤子に、知識も何も与えさせず、しかし生まれ持っての才能だけを特化させた姿――。それが、三成という男なのかもしれん、とワシは思う。
 純粋すぎて透明で、刃のように研ぎ澄まされた、鍛えられた刀を、美しいと思うが、その至高の一品が人を殺すために脂に塗れ錆び、零れるということが、悲しい、と思うのに似ている気がする。生きた凶器と言うに相応しい男だ。近くで一度あの芸術品を見て、触れて、その美しさに感嘆したワシは、あの美しさが今でもきっと忘れられなくて、折るのも汚すのも億劫でならないのだ。
 
 
  2010/11・18


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