■夢物語



「私は貴様を評価している」
「他人事のようだな。しかし、光栄だ、三成。お前の評価は正確だからな」
 昼時を過ぎ、城下からは半兵衛が兵を鍛えている声がする。一糸乱れぬ掛け声は海の波のようで、空を割くような気合の篭った声が、上がり、消え、寒空に吸い込まれていく。遅れた昼餉を食べ、三成は家康を伴って半兵衛の部屋から整理された地図を運び出している最中だった。無駄な会話を嫌う三成から唐突にそう声を掛けられて、それでも家康は惑うことなく言葉を返す。珍しいなと笑ったら、それこそ珍しいこの会話も一瞬で断ち切られてしまうであろうことは明白だった。家康は書庫の立て札を確認しながら、丸められた地図を並べていく。三成は半兵衛に命じられていた本を探しているようで、会話はもう少し続けることができそうだと家康は踏んだ。
「しかし、私は今までの貴様の罪を忘れてはいない」
「すまんな。ワシも己に嘘をつけぬ性質なのだ」
 三成の家康を射抜くような視線も、飄々とかわしつつ、家康は地図を置く振りをして室内にある書架を眺めて歩く。三成は視線だけで相手を殺せるような鋭い視線を向けながら、低く、唸るような声を上げた。棚を掴む三成の爪が、がり、と木を抉る。三成の言う罪は、恐らく以前まで豊臣に刃を向けていたという立場を指しているのだと思った。その上に豊臣の下に居ながら、度々秀吉の目に余る行為をし、半兵衛の策にない行動を起こす。それだけで三成にとっては首を刎ねる十分な理由になる。
「・・・・・・いいだろう。再び貴様の身体に己が罪を教え込んでやろうかと思ったが・・・・・・貴様の愚かさはどうやら撫で斬りした程度では四散しないようだからな。時間をかけてその無知を悔やみ、死に損なうがいい」
「無知か」
 家康は嘲笑するように、ふふふ、と笑った。本棚の裏側から漏れる声は、笑い声とは気付かれなかったらしい。家康は口を一度押さえたが、ふっと表情を手に隠したように、次の瞬間には無表情に戻っていた。
「私は貴様を評価はしているが、憎んでもいる。秀吉様の覇道の妨げに一度でもなった罪は重い」
 家康はくっと唇を歪めてしまいそうになるのを堪え、「しかし、」と本棚からすいっと脇に出た。三成は最初の位置と微動だにせず、しかし半兵衛から命じられた任を忘れ、目の前の男を睨み続けている。きっと、本を届けるのが遅くなってしまったのは貴様のせいだ、と言うのだろうな、と家康は思いながら、しかし、と続ける。
「憎む相手を評価するとは、随分優しくなったのだな」
「何を言っている? 秀吉様に尽くす貴様を買ってやったのだ。私一個人の憎しみや感情など、理知芥に過ぎない。豊臣のため力を振う貴様を、何故私が無碍にしなければならないのだ。それこそ秀吉様への冒涜に等しい」
「秀吉殿のためならば己の感情も二の次なのか」
「そうだ。私の総ては秀吉様のためにある。何故その私が秀吉様のためにならぬことをしなければならない? 下らぬことだ」
「いや、これは参った。お前は本当に純粋なまでに秀吉殿を崇拝しているのだな・・・秀吉殿と較べたら、己さえも大した価値を持たぬのか」
「何故不思議がる? 貴様もそうだろう。貴様の望む平和やらのためならば、総て二の次にすぎないのだろうが」
「確かにワシは平和のためならばなんだってする覚悟だが、わしは優先順位など無い。総てが一等大事なのだ」
「馬鹿なことを。総てが一等ということは、総てが最下位である事と何も変わりはしない。平等とはそういうものだ。そして貴様は愚かなことに、その最下位に己さえ含んでいる」
「順位をつけるのは他人ではなく自分自身だ。自分の価値は本人が決める。ワシの決めるものに、何の意味も有りはしない。人は本当は一人で生きれるのだ。その手伝いができたとしても、本当に助かるのは、その本人が望まなければけして意味は無い」
「ならば貴様の求める平和な世界は、一体何を基準として平和というのだ? 私にとって、秀吉様の生きるこの戦国こそが平和そのものだ。隣で誰が死のうが、隣の国で何千何万の人間が死のうが、何も意味はない。何も思わない。どうでもいいことばかりだ。秀吉さまがいればいい。秀吉様が治めない国など、滅びればいいのだ」
「ワシはお前を平和にしたいわけではない。国を平和にしたいのだ」
「ぬかしたな狸が。数えきれぬ蟻のために己の血肉を零して、鍋でも作る気か。間抜けめ」
 ・・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・。
 ・・・・・。





 ***





 あの会話をしたのはいつだったのだろう、と家康は目を覚ましてから首を傾げた。いや、きっとこの会話をそっくりそのまましたのではあるまい。きっと何度かやったこの会話を、切って繋げて、想像で補い、そうしてこの夢の形になった。歪で中途半端な不思議な夢だった。正しい三成ではない。優しすぎる。いや、もしかしたら、理想の三成が、今の夢の姿だったのかもしれない、と家康は思った。
 本当は今まで、彼には幸せに生きて欲しかった。誰も殺さず、己も殺さず、生きて、幸せに死んで欲しかった。しかしそれは上辺の願いで、本当はそうではなかったのではないかと思う。家康は三成には三成らしいまま、戦場で死んで欲しいとも、思っていたのかもしれなかった。戦場で三成を見て、ああこれこそが三成だ、と家康は満足していた。そのまま死ねと思った。秀吉のために、死ね。秀吉のために生きられぬことなど無いよう、幸せなまま、死ねばいい。
 己が生きて彼が死んだのだから、今更何も言うことはない。彼は不幸なまま、しかし満足して死んだはずだ。己のことは殺せなかったが、彼は最後の最後まで、愛しい人のために生きて死んだ。満足だっただろう。きっと。家康を殺し指針を失い、亡者のように生きるより、何百倍もマシだろう。いや、これは家康の願いに過ぎない。死んだ人に自分の理想を押し付けているだけだ。美しいまま死んだのだ。憎んでいても構いはしない。ただ狂わぬまま死んだのだから、幸せだろう。幸せだっただろう。三成。お前は人の理想を背負って死んだ。秀吉のために死ねと言う豊臣軍の部下のため、豊臣の亡霊のために死んだ。
 けして己のために生きれない、美しい人形だった!
 そして哀れだった。
 最も憐れで可哀相で、哀しい人だった。誰もがお前を殺してくれなかったあの時に、ワシだってお前を殺したくは無かった。本当に、殺したくは無かったんだ。
「お前、誰にも好かれてなかったくせに、誰にも死んで欲しいとは、望まれなかったんだな・・・」
 しかし今更どうでもいい話だ。平和な世に凶を呼ぶ王などお呼びではない。家康様、と朝日を連れて障子を開ける、部下の声がした。月はとっくに、沈んだらしい。

  2010/11・11


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