■とくがわいえやすのくどきかた



 元親は基本的に悩み事を引き摺らない。長くて1日程度である。判断が早いというか、即断即決即行動派と言われるぐらいは物事を考えない。いや、考えてはいる。ただの馬鹿ではない。一筋縄ではいかない馬鹿というべきだろう。むしろ悪化したような気さえするが、元親の人間性はそう言っても間違いではない程度には、行動が早い。ぐじぐじ悩むより当たって砕けろを心情としている男らしい、そんな元親なのだが最近、かれこれ1週間は引き摺っている悩みがあった。
 親友兼相棒兼恋人の徳川家康のことである。
 元親より頭半分程度低い身長に、平均体重ジャスト、体育会系の引き締まった肉体。空手部に所属していながらボクシングジムに通うという異種格闘技を現在進行形で習い、友人も多く文科系にも強い。学級委員長でもあり忙しいはずであるのにまったく慌しい様子を見せることはなく、その上休日は元親や政宗と遊んで歩いたりもする。世渡り上手、というよりは自己管理が完璧にできる男と称するべき、優等生である。
 その家康とは、親友という立ち位置から流れで恋仲になった――という訳ではなく、ちゃんと恋人と言える程度には手順を踏んで『恋仲』と言える関係になった。が、親友付きあいが長すぎたせいで何が親友関係なのか恋人関係なのかわからないという問題に直面しているのであった。
 遊園地に遊びに行ったり、手を繋いでみたり、あまつさえキスなどしてみたりもするものの、あれ、これよく考えたら数年前もやった気がするなぁおいみたいなことばかりで、『恋仲らしいイベント』というものに関して、手詰まりになってしまったのである。キスというのは友人関係でそれはねぇだろうと誰もが思うのだが、頬や額ならただの遊びや冗談でやったことは何度もある。飲み会でやった王様ゲームも含めるならば、口だって1回以上あるのだ。
 まぁ、性行為というものはひとまず置いておくという話だが。
 そんなわけで普段は周りから相談を受けてばかりの元親だが、今回ばかりはお手上げということで、家康の古くからの友人でもある政宗と自称・恋の百戦錬磨の慶次を家に呼びつけて、作戦会議である。
「Strategy meeting・・・って家康は一体どういう扱いなんだよ」
「まぁまぁ細かいことはいいじゃん! それにしても好きな子の落とし方って元親もこんなことで悩んだりするんだねぇ」
 呆れたような口調で元親を見る政宗を宥め賺して、慶次はへっへぇ、と鼻を擦る。元親はコップに麦茶を注ぎながら、いや落とすって、と唇を突き出した。
「落としてはいる・・・んだがなぁ」
「うひゃーっもう落としてるってさぁ」
「うるせぇんだよお前もう帰れよ」
 きゃあきゃあと女のようにテンションの上がる慶次の頭を叩き、政宗はむすっとした顔で麦茶をすぐに飲み干した。元親はスナック菓子を引っ張り出してテーブルに置き、はーあ、と大きく溜息を吐いた。
「いつもは野郎どもには告白すりゃなんとでもなるって言って、そのまま送り出してよ、そんで付き合えたら、その後の問題とかはなんも聞かれねぇから、付き合えば何だってなるもんだと思ってたんだが――そうもいかねぇもんだわ」
「おめぇらが例外なんだろ」
「でもさぁ、付き合ってから別に仲が悪いってことはないんだろ? 何も困ることなんて無いんじゃないの?」
「付き合う前と何も変わってねぇのが気になるんだろ」
 贅沢な悩みだなぁ、と慶次は首を傾げるが、政宗はその言葉に突っ込みを入れることは無かった。彼らが付き合うという関係になったのは1ヶ月ほど前からだったが、確かに何も変化がない。こいつらマジで付き合ってるんだろうかと思っていたが、そもそも元の親友関係の時点で、異常に仲が良かったのだ。これ以上仲の良くなりようがない、ということは流石に無いだろうが、付き合った意味は一体なんなのだろう、とは考えてしまうものだ。
「恋人として意識して欲しい――っつーか恋人として接したい、ってのが本音じゃねぇのか。ガキじゃねぇんだからそれぐらい自力で考えるべきとは思うがな」
「キスとかは親友じゃしないでしょ」
「・・・・・・まぁなぁ」
 数回既にやっているとはあえて言うまい。というか飲み会でやっている場面を慶次は数回見たはずだが、どうやら忘れているらしい。
「じゃあまず俺からの助言! 元親、大切なのはズバリ、空気さ!」
「Eir 慶次」
「えっなんでそこ俺の名前呼んだの」
 っていうかそういう意味じゃないし――と慶次が非難の声を上げる。しかし政宗はそんな嘆きも完璧にスルーして、まぁ、確かにな、と頷いた。
「雰囲気・・・・・・stage effectsが足りねぇんだな」
「なんじゃそりゃ」
 ツッコミではなくただ単に意味が分からず、元親はテーブルに突っ伏す。そういえばお前は空気が読めないなと更に詰られ、言葉を無くした。空気が読めないというのは孫市からも散々言われている。相手の顔色を伺え、適した行動を取らないと損をする、と豪語する強かな幼馴染が思い出される。
「なんかこう、ロマンチックな感じでさ、相手にあ、今凄い意識されてるって感じさせるんだよ! 一挙一動が気になっちゃうぐらいの緊張感で、どきどきするみたいな――」
「お前の言うことはよう分からん」
 政宗はばっさりと慶次を切って捨てて、イマイチ納得しかねる様子の元親を呆れたように見た。そして、しょうがねぇ、と首を振る。
「本当はこういう奥の手を使うしかねぇ。手っ取り早く家康を口説けるplanだ」
「え、なんだそれ」
「が!!」
 ばんっ、と政宗は掌をテーブルに叩き付け、だらりと座っていたのから一転、元親に噛み付くように身体を起こし、ぐいっ、と顔を寄せた。その剣幕と、政宗の左目の奥でぎらぎらと光る怒りのような狂気のようなものに気圧されて、元親は思わず身体を引いた。
「これを悪用したっつー話を家康から聞いたら――てめぇらを何と言おうが別れさせてやる」
「え」
 悪用ってどういう利用方法があるんだよ、と聞こうかとも思ったが、政宗が本気で殺しにかかりそうな顔だったので、問うのは憚られた。わ、わかった、と頷くと、政宗はのっそりと戻る。慶次もびっくりして固まっていたが、そんな裏技あんの、と聞きながら、あれ、じゃあ、と首を傾げる。
「なんでそんな技教えんの?」
「・・・まぁ俺も、困ってるダチを放っておけねぇしな」
 それに、こいつらのコンビは嫌いじゃねぇ、と政宗は言う。元親は心拍数の上がっている心臓を押さえつけながら、ああ、家康はこんなにも人に大切にされているのだな、と思い知り、何故か政宗が恋敵とも取れるほどの様子であるというのに、どこかほっとしている自分に気付いて嫌になってしまった。





 家康の部屋に行くと電話をすると、二つ返事で了承してくれた。何か飲み物買ってきてくれと頼まれたので、コンビニで炭酸ジュースを買う。酒にしようか悩んだが、先ほど政宗から教わった裏技は真剣さが大切だといわれたので後で有耶無耶になる結末は避けるためにそれはやめた。
「よう」
「ん」
 家康の部屋は暖かく、冷えた体がじわりと熱に包まれる感触がする。のろのろ歩いてきたので、指先は完璧に冷え切っている。冷たいなーと家康は元親の手や頬をぺたぺた触り、元親から袋を受け取って、飯は食ったかと聞いてきた。
「いや」
「じゃあ一緒に食おう。鍋を作ったんだ」
 通されるがままに進むと、部屋の中央にはコンロに置かれた大きな鍋があった。二人分より少し多い程度の量で、明日の朝ごはん用も含まれているのかもしれない、と判断する。汁で後で雑炊にするのかもしれない。
 家康は何故元親が来たのか尋ねもせずに、にこにこしながら食器を用意した。元親も勝手に自分の分と家康の分の白米をよそい、一先ず夕飯をいただくことにする。学校のことやテレビのことをつらつら話しながら、元親はこれから何をするべきか政宗に教わったことをゆっくり思い出し、ヘマをしないよう言うことを心の中で復唱する。こんなに緊張するとは自分で自分がわからない。告白する時だってこんなに緊張しなかったはずだ。というか緊張をしなかった。こういう風にぐだぐだと二人で一緒にいるときに、もう俺ら付き合っちまおうかと元親が言って、なんだそりゃ、まぁそうだな、付き合おうか、と家康が頷いたのである。今思い出すと酷いやりとりだ。冗談のようだが冗談ではない。じゃあこれからちゅーしようなとかセックスとかやっちゃうかとか話し、その上どっちが上だの下だの、まぁ勉強しとこうなとアホ丸出しな会話まで交わしたのだった。
「・・・・・・」
「うんん? どうした元親。骨でも入ってたか」
 鱈の切り身を口に含んでから突っ伏した元親をぎょっとした様子で伺い、家康は首を傾げる。元親はいや、と首を振って、ああ、そうか、このせいなんだろうか、と自己嫌悪した。家康があれを冗談として捕らえていた、とか、そういうこともあるのかもしれないが、きっと一番自覚が無かったのは元親自身なのかもしれない。
 がつがつと目の前の料理を口に入れ、元親はこれからやる政宗に教わった口説き方を使うのが何となく嫌になってきた。そもそも悪いのは自分じゃないのかとさえ思えてくる。いや、裏技といっても特になんとも無い、当たり前の台詞を吐くだけなのだが、政宗に教わって、それが裏技であるというのが、なんとも心苦しい。
 というか、裏技と言ったが、もしかしてこの台詞を言ったら家康は誰にでもときめくとかそういうのなのだろうか。
 はた、と元親は動きを止めた。そうだ。裏技と言っていたじゃないか。これはもはや全国共通の家康の落とし方講座みたいなもの――。しかも悪用までできるというのだ。えっ、もしかして家康って凄い尻軽みたいな扱いじゃねぇの・・・?
「い、家康っ!」
「おいおい何だどうした。何か今日テンション高いな元親」
 家康は一人でどたばたする元親を困ったように笑い、じゃあもう片付けるか、と席を立った。一応二人はだいたい食事を終えている。空の器を台所に運び、鍋に残った汁をタッパーに入れる。それを冷蔵庫に仕舞い、テーブルを拭く。元親はじっと固まって座ったままで、家康がすべてを片付けてから元親の買ってきたジュースとコップを二つ用意してテーブルにつき、で、どうした、と笑った。
「何か面白いことか、嫌なことでもあったのか」
「う――」
 なんとも応えにくい。元親はええいままよ、と心の中で叫び、ばっと立ち上がった。お、と眼を丸くする家康のすぐ隣まで移動し、その隣に腰を降ろす。ん? と元親に身体の正面を向けるように向かい合い、家康は首を傾げてみせる。がっ、とその肩を掴み、元親はぐっと身を乗り出した。
「家康、俺はお前のことが好きだ」
「お、おお? ワシも元親が好きだが、どうした?」
「愛してる」
「あ、あい」
 ぴたり、と家康の口が止まった。あい、とまた繰り返し、そうだな、うん、とぎこちなく頷いた。
「ワシも、元親をあいしてるぞ」
「家康を世界で一番愛してる」
「せ、せかいでいちばん」
 もう言葉が出ないらしい。というか言葉があやふやだ。元親の言う言葉を単純に繰り返しているだけのようにさえ感じた。家康の両手は元親を掴んでいない。骨の太い手が、空中で止まっていた。何か掴むものを探しているようであったが、結局何を掴めばいいのか分からず、右往左往しているように見える。俺の腕にしがみ付かないのか、と元親はそんなことを考えた。どうして掴まないのだろうとも思ったが、しかしそういう奴なのだ、と思う。家康の顔は赤いというよりは、どちらかというと冷めているように見える。言葉が理解できず、その上どうすればいいのか分からないようで、あ、う、と引き攣った唸り声を上げた。
「お前だけが、ずっと俺の特別だ」
 ぶるっ、と家康が震えた。確実に怯えていると言えるほど、顔が引き攣っている。それは、それは、おい、と家康は中途半端に首を振りながら、ぐっと元親から距離を取ろうと身じろぎした。しかし家康の肩はがっちりと元親の手に捕まえられている。逃げ場はなかった。
「あ、いや、そ、それは、だ、駄目だろう、元親お前は」
「結婚しようぜ家康」
「け」
「なんだ、冗談で付き合ってたのか」
「お、おまえ、お前は、ち、違うだろ!」
 悲鳴が上がった。家康の手が元親の手を剥がそうとその手首を鷲掴む。現役空手部、その上ボクサーでもある家康の握力は相当のもので、元親の手が一旦外れた。家康がぱっと身を退くので、元親は飛び掛るように家康を押し倒した。座った状態で後ろに引こうとする家康の一瞬のバランスの崩れた瞬間を、獣のように頭を抱きかかえるようにして倒す。家康の頭が元親の胸に抱きかかえられ、そのままどたっ、と絨毯の上に倒れた。う、ううーっ、と家康の唸り声も無視し、がんがんと元親の背を叩く容赦の無い拳に耐え、元親は本気でお前のことが好きだ、と繰り返す。
「同性婚が認められてる国に行って結婚しようぜ。共働きで、子供はいらねぇから、ずっと一緒にいようぜ、爺になるまで二人で幸せになろうぜ。お前が居てくれたら女もいらねぇから、浮気も絶対に、しねえから、な、家康、俺だけのもんになってくれよ」
「う、うう、うううううう」
 がりがりと家康の指が元親の背中を引っかく。家康、好きだ、と元親は無視してずっと口説いた。好きだ、好きだと時計の秒針の動くのと同じぐらいの回数、しばらく囁き続ける。家康の掌が元親の背中を引っかき、叩き、引き離すように引っ張り、そしてしがみ付いて握った。
 子供のような告白と約束を繰り返し、最初は恥ずかしさで憤死しそうなほどだったが、好きだと何十回と繰り返すと、どくどくと鳴り響く心臓の音も、いつしか穏やかになって、家康の手がじっと止まる頃には、酷く落ち着いていた。家康、好きだ。ふと家康の反応がないので、まさか窒息してねーだろうかと身を起こして確認しようとすると、家康の手ががっと元親の背中を抱きしめ、今度は離れるのが無理になっていた。
「・・・・・・家康?」
「う、うう、ぐうううう」
 コアラの子供のように元親の胸に頭を押し付ける家康だが、微かに見える耳や額が茹蛸のように真っ赤になっていた。元親、熱い、と喘ぎながら、それでも離れようとしない。
「・・・・・・怒ったのか?」
「お、怒っていない」
「じゃあ嬉しいのか」
「わ、わからん。が」
 怖い、と家康は喘いだ。そして辛い、と嘆く。はっとして、元親は力ずくで家康を引き剥がした。顔を真っ赤にした家康は、ぼろぼろと涙を零していた。怖い、ごめん、すまない、すまない、と泣きはらし、家康はああ、と嗚咽を上げた。
「ワシも元親が、一番、すきだ・・・大切なんだ・・・」
「・・・・・・」
「すまない、すまない・・・」
 誰に謝っているのか元親には分からなかった。それでも家康はぼろぼろと子供のように涙を零し続ける。しかし崩れた、と元親は確信した。徳川家康は崩れてしまった。太陽は海に沈んでしまった。腹の内が燃え盛るように熱を持っているのを感じた。人間らしく感情で人間に執着することを覚えた太陽が、人の信仰を裏切ったことに対して謝っているのか、それとも今まで守り続けてきた何かを捨てたことを悔いているのか分からなかったが、元親はぞろりと胸が歓喜で湧くのを感じた。汚れた太陽に欲情していることを自覚して、元親は死にたくなった。しかし家康の流す悲しみとどうしようもない申し訳ない感情の詰まった涙が、己のせいで流れているということが、酷く愛しくいやらしいと思ってしまう。キスをしてセックスをしよう家康、と元親は言う。家康は泣きながら頷き、すまない、すまない、と言って、元親の唇を啄ばんだ。
  2010/11・8


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