■特別の価値



「家康もそうだけどよぉ、てめーは嫉妬とかそういう感情を知らねぇのか」
 冷たい風の吹き始める夏の終わり頃、政宗は目を据わらせたままそう吐き捨てた。元親は政宗の正面に胡坐をかいて座り、ずるずるとストローで牛乳を啜るのをやめる。そして、「shit?」と繰り返した。
「ちげーよ馬鹿かお前は。英語じゃねぇよ。嫉妬だよ。ジェラシーだよ」
「お前は喋る合間合間に英語を突っ込んでくるからわからねぇんだよ・・・」
 がつがつと焼きそばパンにかじりつきながら、嫉妬ねぇ、と繰り返す。そんなイマイチ理解していない元親を尻目に、政宗は弁当を突付きながら、例えばだ、と口火を切った。
「市って女がいるだろ。長政の彼女だったか」
「ああ、市な」
「家康に最近懐いてるだろ?」
「懐いてるって・・・犬猫じゃあるめぇし」
「犬猫みてぇな懐き方なんだよ」
 政宗曰く、織田市は学校に入ってきた当初は兄である信長、その取り巻きである濃や蘭丸や光秀、そして彼氏である長政、この5人によくくっついているのを見られていた。というよりこの5人以外と行動を共にしない。信長と仲の良い利家、その彼女であるまつなども偶に共にいる所が見られたが、それ以外とはつるまない女だった。陰気で常におどおどとしている。しかしここ最近になって、長政が大怪我をして入院し、しばらく学校に居ない間に市はいつの間にか家康にくっつくようになっていた。というのも信長などが試験や面接練習などで市と共に居れず、ずっと一人で居るところを家康が見かねて何かと世話を焼き、いつの間にか市は自然と家康にくっついて動くようになったのである。
 まぁそんなことは政宗に言われるまでもなく見れば分かることである。家康の親友である元親も、今更説明されずとも一連の流れは理解している。というより、その話は直接家康から聞いたのだ。というのも家康は幼い頃から織田一家とは関係があったそうで、市とも昔馴染みであったらしく、人見知りの激しい少女の助けになりたい、と言っていた。
 犬猫、といえばそうかもしれない。猫ではないが、家康が一緒にいよう、と声を掛けると言葉どおりに家康の後ろをちょこちょことついて回るのを、あちこちで目撃している。そもそもそういう動きが癖のようだと元親は踏んでいた。市は長政や信長の後ろをいつも申し訳無さそうに、しかし少し嬉しそうについて回る。家康に対してもそうだ。浮気とかではなく、ただ単に己を守ってくれる人から離れたく無いのだろう、と元親は判断していた。
「それがどうしたよ」
「あの女が邪魔だとか思わねぇのか?」
「邪魔?」
「あの女を口実にデートとか振られてんだろ」
「デートぉ? ・・・・・・ああ! いやいや、別にデートっつぅかなんつぅか」
 デートとは大袈裟だ。ただ休日に遊ぶ話をキャンセルされただけだ。市が長政の見舞いに行くというのでそれの付き添いに行くという話だった。元親は病院が嫌いであったし、そういう身内の中に入っていくというのも気がひけたので、黙って見送った。今は長政は学校に復帰しているので、それで振られたのは2回程度だ。何も気にしていなかった。
「家康と遊べねぇのはまぁつまらなかったが、別になぁ」
「本多はどうだよ」
「忠勝さん?」
 本多忠勝というのは家康の、何と言うのが的確かどうかわからないが、そう、ボディーガード、とでも言うべきなのかどうなのか。元親は適した言葉が思いつかない。伊達政宗にとっての片倉小十郎、真田幸村にとっての猿飛佐助、とでも言うべきか。いや、あの関係ともまた何か違うのだが、家康が子供の頃から家康の、面倒を見た人物、というか。親代わり、のような。やはり、ボディーガード、なのだと思われる。寡黙な男だ。元親は彼が喋るところを一度も見たことがない。声も知らない。出張の多い家康の両親に代わり、家康を育てたとまでは言いすぎだろうが、元親の記憶する限りでは本多忠勝は公園で遊ぶ家康をいつも迎えに来ていた。大きくなったらこのような男になりたい、とか、一時期考えていた気がする。身長が2メートルを越えているのだ。印象としてはターミネーターのようだと思う。
「まぁ、小せぇ頃は忠勝さんに乗りたいとか何度も思ってきたが、この歳になるとそこまで羨ましくはねぇかなぁ・・・・・・家康も全然許してくれねぇしな」
「ちげぇよ逆だよ」
「逆?」
「おめーが本多に嫉妬しねぇのかよ」
「は? どういう意味だよ」
「わかった。お前の頭の悪さをようやく今完璧に理解できた気がするぜ。OK,つまりだ。お前は、家康の特別になりてぇとか思わねぇのか?」
「家康の」
 特別。考えてもみなかった言葉に、どうにも理解が追いつかない。家康の特別。特別って、一体何だろうか。
 元親はもやもやとしたものを飲み下そうと、牛乳パックを啜った。きぃぃ、と擦れる金属音を立てて、屋上の扉が開いた。振り向けば、うわっ寒い! と慶次が悲鳴を上げている。その後ろに噂の家康がビニル袋に弁当と緑茶のペットボトルを入れてやってくるところだった。その後ろには幸村と佐助も居る。
「このような温度で泣き言など、男子にあるまじき貧弱さでござる、慶次殿」
「ええ? そう? うわ、幸村手ぇあったか!」
「真田はいつでも温かいよなぁ」
「徳川さんだって温かいじゃん、ねぇ」
 どやどやと政宗と元親の近くに腰を下ろし円を作る彼らからそっと眼をそらし、政宗を見ると、政宗はまた後でな、とでも言わんばかりに元親を見た。睨むよういも見えるほど目つきが悪い。ふとその手に手を伸ばして掴んでみると、怖ろしく冷たかった。
「手、すげぇ冷てぇぞ」
「なんだ寒いのか政宗」
「ずっとここに居たからな」
「ほれ」
 元親が手を離すのと交代に、がばり、と家康がなんともなしに政宗に抱きついた。
「おい食うのに邪魔だ、人間カイロ」
「おめぇ、すげぇひゃっこいぞ?」
「家康ぅ俺にも俺にもー」
 べしべしと頭を叩かれて、家康が身を離せば、慶次が今度は自ら身を乗り出すように家康に迫る。家康と慶次に挟まれていた幸村が飯が食えぬわとその中途半端なポーズの慶次にしがみ付くように抱きついた。
「幸村あっつ、っていうかちょっ、やめっサバ折りサバ折り! 内臓出るぅ!」
 慶次の悲鳴にげらげらと笑って、少しだけ冷たい空気が柔らいだ気がする。さっきの会話もすっかり頭から抜け落ちて、元親も大口を開けて大笑いした。




 といってもすぐ簡単に何でも忘れる頭ではない程度には脳はあったらしい。とでも腐れ縁の毛利にはせせら笑われそうではあるが、元親は結局家康の特別、という言葉が頭にひっかかって、授業が全て終わって下校する最中もそれで頭が一杯になってしまっていた。
 今思い返せば、家康は多くの友人があった。人望があるというべきか。人を思いやることができ、たまに正しすぎて一緒にいると自分が惨めになってくる、という感情に襲われるときもあるのだが、そう、悪い男ではない。というか、良い奴なのだ。凄く、良い奴だ。元親は自他共に認める程に、家康が好きだった。政宗はやたらとそれを恋愛扱いするのだが、元親はよくわからない。家康は、親友だ。恋愛というのはつまり、キスをしたいだとかエロいことがしたいだとか、そういうことなんだろうかと思うのだが、恋というものに人一倍食いつく慶次曰く、「キスだのエッチだのそういうのは恋では二の次なの!」らしい。その上哲学の授業で「老人になって、相手の見た目が変わっても愛しく思えること」が恋だの愛だのと言うらしい、とも言われてしまった。家康が爺になっても虫になっても、家康が家康なら、元親は大好きでいられる自信がある。じゃあそれは恋なのか? しかし親友というのも、そのカテゴリに入るのではないか?
「なぁ、家康よぉ」
「うん? どうした、元親」
 電線に並んだ大量のカラスに眼を奪われていた家康は、元親の言葉でようやく視線を移した。二人きりの帰り道、普段は会話が尽きないのだが、何故か今日は会話がない。俺が黙ってるからか、とぼんやりと思った。家康は元親が何か考えてるのを察して、沈黙を保っていたらしい。
「あー・・・・・・」
 話しかけたはいいものの、何を問えばいいかわからない。特別な人っているか? とかだろうか。まるで恋人がいるか聞いているようである。数度口を開け閉めして、元親は結局、政宗と同じような問いを吐いた。
「お前よ、嫉妬ってしたことあるか?」
「しっと? ああ、嫉妬か」
 流石に英語と判断はしないらしい。日本語らしすぎたからだろうか。
「そりゃ、するだろう」
「するのか。誰に?」
「誰に? 誰にって」
 家康は眉間に皺を寄せ、うーん、と唸った。
「例えば、例えば、・・・・・・例えば」
「ねぇんじゃねぇか」
「あ、いや、いやいや。いる。三成とか」
「石田?」
 発された言葉が予想外で素っ頓狂な声を上げてしまったかもしれない。そりゃまた、なんで。元親が言えば、家康はなんで、って、と笑った。
「嫉妬というか、羨ましいと思わないか? 三成みたいに自分の思ったことを何でも言えるって、凄いと思うぞ」
「ああ、そういうことね・・・」
 そりゃ嫉妬じゃない。羨望だ。元親は心の中で突っ込む。そういえば政宗は言っていたじゃないか。「家康もそうだけどよぉ」と。なんとなく、毒気を抜かれた気がして、元親は肩を竦めて、少し踏み込んで言ってみた。冗談のように。
「お前はさ、俺が他の奴らと仲良くしてて、嫉妬したり・・・・・・は、まぁ、しねぇよな」
「なに?」
 物凄く自意識過剰の台詞のような気がして、結局言葉尻を濁してしまった。家康がきょとんと眼を見開いている。我ながら馬鹿丸出しな質問であった。元親はいや、なんでもねぇ、と結局逃げた。
「ぶはっ、は、は、はははははっ!」
「おい笑うんじゃねぇっ」
「おめーがものすげぇ変な顔するからだろ!」
 家康は大爆笑して、ばんばんと元親の背中を叩いた。ああ、我ながら本当に馬鹿なことを聞いてしまった。うわははは、と呵呵大笑した家康はふぅ、とようやく笑うのを収めて、まぁ、したことはないな、と言い切った。そりゃそうだ。元親が家康の周りに嫉妬をしないのだから、何かを期待するのもおかしい。
「ワシはな、人気なお前ごと大好きだからな!」
「・・・・・・はぁん?」
 どういう意味なのかよくわからん。元親は笑う家康から逃げるように数歩先を歩いていたので、思いがけぬ言葉をかけられて、くるりと振り返った。その間抜け面にまたぶはっ、と噴出して、家康はそれでもなんとか笑いを押さえ込み、いや、だからな、と話す。
「まぁ、勿論お前がワシより他の奴を優先したら、そりゃ寂しいし悲しい。なんたってワシの味方になってくれるとワシはお前を信じているからな! だがまぁ、ワシよりも優先するべきことなんてお前には余りないと、ワシはそう踏んでいる。まぁ、これはかなりの自意識過剰なんだが」
「いやまぁ・・・・・・そうだけどよ」
 家康の頼みよりも優先することと言ったら、病人とか怪我人とか、そういうものだ。そもそもこの親友は頼みごとがまず少ない。その数少ない頼みごとを、元親は何よりも優先したがるだろう。その自覚はあった。
「で、だ。そのワシのことが大好きなお前が、ワシより優先する重要な問題に直面するとする! お前は責任重大だ。それだけお前は多くの人に頼りにされている、ということになる。ワシはな、そんな皆に頼りにされるかっこいい男前なお前が、大好きなんだよ」
「お」
 お、おおお、おまえ、なぁ。道のど真ん中で、しかも住宅街である。人通りはなく、話を聞く人がいるとも思えない、が。
「俺も」
「ん」
「俺も多分、そういう、お前の全部が、気に入ってる、ぜ・・・・・・」
「・・・・・・ふ、ふは、あっはっは! そうかそうか! 嬉しいな!」
 ばんばんと背中を叩き、家康は満面の笑みを見せてくれた。元親は真っ赤に燃え上がるような顔を見せるのが恥ずかしく、手で顔を覆うのに必死になってしまって、家康が耳まで赤くなっているのに、気づけなかったのだが。
 それで結局、家康の特別になりたいと思うのかどうなのかという話はうやむやになったのだが、元親は後日、政宗に面と向かって、「悪い、結局よく分からなかった」ときっぱり答えたのだった。特別かどうかなど、どうでもいいことである。今のところ、それが結論であった。

   2010/9・26


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