■ふたりぼっちの危険性



 おい、家康、一人で帰るのか。
 毎度のようにそう声を掛けてきた友人は教卓の前で箒を持ったままだった。ゴミ箱を持っていこうとするクラスメイトにぶつかりかけて、家康は少し身を捩りながら、ああ、と頷く。政宗は陶芸準備室の掃除に向かっているし、慶次は掃除当番は何もない癖に孫一を追いかけて中庭の清掃について回っている。幸村は補習のため第一講義室に行っているので、掃除当番に何も当たっていない家康は一人で先に帰る予定だった。中学校までは親戚であり何故か家康のボディガードのようにぴったりと傍から離れない本田忠勝という男が車で送迎をしていたのだが、高校生になってまでそれをしてもらうのは情けないというか気恥ずかしいので、今は電車通学だ。家康が頷いたのを見て取って、回りを何故かそわそわと見やり、「一緒に帰ろうぜ、ちょっと待ってろ」と元親は何故か苦しげに言うのだった。前からこういう対応をされるのだが、家康はそんなに嫌なら別にやらなければいいのに、と思う。そう思いながら断るのもなんだったので、ああ、と同じように頷いた。しかし教室の中にいれば掃除の邪魔だと思い、廊下に出れば、ちゃんと待ってろよ、と元親が情けない声を上げるのだった。


 元親は家康の親友、と言っても過言ではない友人だった。幼い頃、それこそ小学生ぐらいからの知り合いだ。ガキ大将だった元親は家康を可愛がっていたし、裕福な家庭であった家康のもとへよく遊びにきて、共に遊んだこともよくあった。元親は忠勝をよく慕っていて、夏休みなどはどちらかの家に泊まったりもした。元親の、家康に対する様子が急変したのはつい数ヶ月前からであった。家康は他の少年達に較べて成長が遅かった。元親なんてその筆頭で、高校に入る直前には180センチに到達するかもしれない、なんてほどでかかったというのに、家康は他の女子と同じぐらい、というよりそれより低いぐらいだった。わしはずっとチビのままなんだろうかと身長の2メートル近い忠勝に泣きついて、背の高くなる方法を聞いたりしてもみたのだが、どうにも伸びない。そして高校1年も終えようとする頃、ようやく身長が伸び始めた。といってもそれは恐るべき急成長で、夜中なんて痛みで眠れないほどだった。激痛故の寝不足のせいで学校を休んだりもした。数日ぶりに登校してみれば、身長の伸びたのが目に見えてわかるらしく、皆の注目の的であった。そして数ヶ月するうちに成長はようやく止まった。気がつけば見上げて喋っていた相手である幸村や佐助、政宗と目線を合わせて会話できるほどであり、チビだ何だとからかっていた政宗はそれはもう悔しそうであった。そしてその頃突然、元親が家康を避け始めた。
 避け始めた、というには語弊がある。確かに今までのようにべたべたとひっつき、ことあるごとに抱き上げたりして絡むことがなくなった。が、それはただ単に家康がでかくなったのでできなくなったとも考えられる。しかし家康の最も近くに居た元親は、その輪からこっそりと抜けることが多くなっていた。政宗はショタコンだなんだと言っていたが、それもどうやら違うらしい。何故かといえば家康に何かと過保護になったのだ。離れているのに過保護とはこれいかに、という話なのだが、まず危ないものに家康を近づけないようにするのだ。刃物、重いもの、車やらなんやら、幼児を相手にするのではないのだと思うのだが、元親の目は真剣そのものだから口も出しにくい。危ないもの、というか危ない者、というか、クラスメイトの毛利元就への反応もどうにもおかしい。家康と元就が必要以上に接近するのをどうにも嫌がるようで、肌寒い日などに家康が元就にジャケットを貸そうかと言えば、元親がやってきて己の上着を元就に投げつけて逃走する、という傍から見て気持ちの悪い様子なのだ。家康と元親と元就の三角関係!? などと騒ぐものだから、元就も激怒し、家康に酷く当たる。それを元親が避難させる。そして噂に花が咲く。その無限連鎖だ。
 小さい頃ならまだしも、ガタイが良くなってから過保護になられても、と家康は一人ごちる。小さい頃の方が元親に無理難題をやらされた気がする。忠勝に元親の様子が変だと言うと、それもどうやら様子がおかしかった。忠勝がもしかして元親に家康に怪我させないよう、なんて脅したのだろうかと思ったが、忠勝は沈黙を保ったままだ。それはないか、と家康は一人で結論付ける。


「待たせた」
「いや、早かったな」
 廊下でぽつねんと立っていると元親が慌てるように走ってくる。家康の横に並び、少しだけ、昔よりも少しだけ、離れて歩く。互いに交友関係の広い人間であったから、廊下を歩くだけで挨拶の嵐だ。二人きりになると会話が無くなるのだろうが、学校から出るまで会話をする暇もない。ようやく住宅街の路地に入り、静かになった。会話がない。互いに気まずさは感じているらしい。帰宅を誘った身として、元親がどうやら話題を捜すよう奮闘しているらしいが、どうやら上手い会話が出てこないようだ。不思議だ。昔はいつまで経っても会話が終わらなくて困ったぐらいなのに。
「あの、よォ」
 ぎこちない声音で元親が口火を切った。家康の立つ場所から元親の目は見えない。元親は何故か左目に眼帯をつけている。理由は聞いたことはない。政宗のように重いものだったらどうすればいいか困る。
「夢とか、見ないか?」
「なに? 夢?」
「ああ、その、戦国武将になった夢とかよ」
 元親は今度は明朗に言った。割り切ったような声で、しっかと聞いてきたので、家康は変なことを聞くものだ、と思った。
「戦国武将になった夢なぁ? ふぅん、そもそも戦国武将の夢ってどういうもんなんだ?」
「様付けで呼ばれたりとか、戦場にいる夢とか」
「なんで戦国武将だって思うんだそれで・・・・・・まぁ、そういう夢なら見たことはあるぞ」
「マジか」
「ああ。空を飛ぶ夢も見たことあるな」
「それは関係あるのか?」
「下は戦場だったぞ」
 そうか、と元親は呟いて、俺は、とそこで言葉を切った。おれは、おれはよぉ、と言う声は震えているようで、もしかして泣いていたりするのだろうか、と思う。しかし元親の目はこちらから見る限りは眼帯に覆われているし、背が高いので顔はよく見えない。引き攣った声で、叫ぶように元親は言う。
「こないだ、お前を」
「わしを?」
「こ、殺す、ゆめを、みたんだ」
 ぴたり、と元親は足を止めた。家康は2歩ほど前に進んでしまって、それから振り向いた。夕焼けの中で元親は俯いていた。予想通り片目から涙がほろほろと落ちている。
「わしを殺す夢」
「お、俺はよ・・・それが、夢に思えなくて・・・・・・変に生々しいんだ。お前を殺す感触が、手に、染み付いてるみてぇで、俺は、酷ぇ勘違いをしてよ、それで、お前を殺しちまうんだよ」
「・・・・・・そうか」
「俺のせいで、俺はお前を、殺しちまって」
 そこで言葉は途切れた。元親は道のど真ん中で男泣きをしてしまっている。
「そんなに泣くなよ。夢の話だろう」
「ちげぇんだよ! 夢じゃねぇ、きっと夢じゃねぇ、俺は、きっと、前世があったとしたら、お前をほんとに、殺しちまってて」
「過ぎたことだし、気にするな、元親」
「家康お前なぁっ」
「お前が泣いてくれるだけで、お前が殺したわしは多分それで十分だと思うがなぁ」
 がりがり、と頭を掻いて、家康は肩を竦めた。前世のこと、なんて本当にあるかどうかなんて分からない上に、そんな昔のことを引っ張り出されてもどう反応すればいいのかわからない。400年前なんて時効だろ? と家康が笑えば、元親はおまえはぁ、と抱きついてきた。肩が元親の涙で濡れていることの方が気になったけれど、いつも抱きしめて己が泣き止むまで背を撫でてくれた手が、己の背中で震えているのを感じると、ああ、よかった、と思った。もしも遠いどこかでこのことを思い出して、一人でお前が悲しまなくてよかった。夕焼けが迫る道の向こうで下校途中の政宗がおっとり刀でやってくるのを見つけて、とりあえずあいつがわしらに気づくよりも先に、涙を止めてしまえ、と元親に言っておいた。とまらねぇよ、ちくしょう、ばかやす、と可哀想なほどしわがれた声が耳朶をたたいた。
  by.人魚tittle 2010/9・13


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