■不幸論

 我はな、ぬしが嫌いなのよ。さらりとするりと絹が零れ落ちるような柔らかい声で、大谷は家康に向けて応えた。床に伏せる男の横に胡坐をかいて座っていた家康は、きょとりと目を見開いて、嫌いか、と言葉を繰り返す。言葉を遅れて理解してか、そうか、と続けて呟いた言葉は、悲しげだった。大谷はその顔を見て、少しだけ胸がすっとした。病に毒されたこの身では、他人の不幸だけが大谷の気分を軽くする。
「嫌い、そうさな。嫌いなのよ。憎いと言っても過言ではないわ」
「憎いか。ワシが」
「ああ。憎い。憎たらしい」
 家康はただ、悲しそうに眉間に皺を寄せて、少し前屈みになった。曇るところを見たことのない柔らかな光を讃えた目が、じっと畳を見る。
「何故、と聞いてもいいだろうか」
「何故? わからぬのか? 我はな、幸せな輩が憎いのよ。この醜い体であろ? 五体満足の健康体であるだけで憎いというに、ぬしは常に人に囲まれて幸せそうだ。そういう奴がな、我は嫌いなのよ」
「幸せそうか」
「幸せではないというか? ひっ、ひっ」
 大谷は引き攣った笑い声を喉からひねり出す。呼吸できているのかと心配してしまいそうなその音は、大谷の喉をじりじりと焼いた。
「いや、幸せなのだろう」
「そうだろう、そうだろう。ぬしが幸せでなければ我はいったいどれ程幸せでないというのか。秤が使えぬわ。人を惹きつけてやまぬぬしがいるだけで、我は惨めだ。虫にでもなった気分だ。我がどう足掻こうが、ぬしは不幸せにならぬ。それが憎い」
 家康は、そうか、と答える。そうだ、と大谷は言う。悲しげな家康を見て、心の底から嬉しそうな笑い声を洩らす。
「ぬしの元にいることで幸せになる輩も憎い。ぬしがいることで幸せな輩が生まれるのが憎い。我の憎しみの元凶はぬしなのよ」
「刑部、お前は幸せにはならないのか」
「ならぬ。しかし、それでいい。我は我だけが幸せになることもまた、望まぬ。全てに平等な不幸を。それが我の望みだ」
 ぬしの望む世に、我は生きられぬ。そして大谷はそう告げた。ひ、ひ、と引き攣った笑い声がひり出される。障子の隙間から見える夕焼けの光が、家康の肩を照らしている。太陽がじき沈む。大谷はそれが待ち遠しい。
「秀吉殿もか」
「太閤もだ」
「半兵衛殿もか」
「竹中もだ」
「三成もか」
「三成もだ」
 躊躇わず、迷わず、大谷は返答する。包帯で巻かれた男の顔の隙間から、黒ずんだ眼球が弓なりに歪んだ。
「幸せな奴は皆、不幸せになればよい」
「ワシは皆に幸せになってもらいたい」
「そうだろうよ」
 吐き捨てるように大谷は言う。知っているぞ、太陽よ。大谷はつまらなさそうに言って、それきり黙った。家康は懐から薬を包んだ包みを取り出し、大谷に渡す。いつからか武器を持たず、戦場で己の拳一つで生き抜くことを選んだ男の無骨な手を見やり、大谷は、なんだ、と聞いた。
「ワシが調合した薬だ。飲んでくれないか」
「ひひひ、そういう所がまた憎い」
 大谷は頭を振って、掛け布を頭まで被った。
「やれ、太陽が眩しくて敵わぬ。ぬしが近くに居ると我の肉が焦げる気がするわ」
 家康はそれから眠るつもりらしい大谷を悲しげに見て、そうか、と呟いた。余計な世話かもしれないが、一応ここに薬を置いていく、と大谷の枕元に薬を置いた。気が向いたら飲んで欲しい。家康はそういい残し、立ち上がる。部屋から退出し、障子が閉まる。ぎしり、ぎしりと男の立ち去る足音を肌で感じながら、大谷は小さく笑った。男の悲しげな顔が、一番の薬であった。





 ***




 そういえばそんなこともあった、と大谷は考えていた。あれは何時のことだったか。秀吉も半兵衛も存命のときであったはずだ。徳川はあの頃から誰にも平等であり、気味の悪い太陽であった。あの時は、己は全ての不幸せを望んでいた。
 しかし、今はどうであろうか。輿の上に足を組んで座したまま、大谷はじっと考えていた。もはや反射的に、自らの操る水晶球が、東軍の兵士の命を刈り取っていくのも、既に夢のごとき感触であった。
 そう、あの時は三成は幸せであった。秀吉が生きていた頃、三成は指針があり、生きる力で満ち溢れていた。今それを失い幽鬼の如く変貌を遂げ、自らと同じように一人きりになってからだ。三成に対してこの不可思議な情が湧いたのは。
 哀れみであるかもしれない。大谷はそう思った。しかし、それも何か違う気がした。そもそも大谷は己を哀れんでいない。自らの不幸さえも楽しみと取れる生き物だ。三成の不幸を哀れむ余地はない。長年連れ添ったのが哀れみを誘う結果となったのか。わからない。何故三成の不幸せを喜べないのか。大谷は腹のうちに潜む気味の悪い何かに、昼に流し込んだ雑炊を吐き出すようせっつかれている気がしてならなかった。気味が悪い。何かがうちに巣食っている。
 あのとき、家康から貰った薬を、結局その後大谷は飲んだ。見舞いにやってきた半兵衛が、それを飲むよう命じたからだった。飲みたくなかったが、家康は薬の調合に関しては医者に劣らぬと言うので、言われるがまま飲み干したのだった。結果、それは大層効いた。それから1日ほど、大谷は今まで感じたことのないほど気分が良くなっていた。しかしその後家康に遭い、薬はどうであったと問われたとき、いつものように笑って、「身体に合わなかったわ。すぐ眩暈が酷くなってな、吐いてしまった」と嘘を吐いた。予想通り、家康は顔を歪めて、すまない、と大谷に謝った。大谷はそれから、もう薬はいらぬと家康に言った。死んでは敵わぬ、と言えば、家康も大人しく身を引いた。あの悲しそうな顔といったら! 今思い出すだけで腹がよじれるようである。愉快痛快とはこのことだ。大谷は幸せになりたいわけではないから、あんな薬飲み続けるほうがよっぽど毒であったし、自分の容体がよくなったからと喜ぶ身辺の人間も見たくなかった。
 不幸せを望む気持ちに偽りはない。それは大谷にとって永遠に変化することのない指針であった。三成にとっての秀吉のように。しかし、大谷は何故か、三成の不幸せなところを見たくないという気持ちがあった。気味が悪い。
 雑兵を殺しながらおっとり刀で東軍本陣を目指す。あの天辺、今も変わらず人を照らし続ける太陽は、わかるだろうかこの感情が。人に、幸せになってもらいたいというこの想いが、一体何を意味するのかを。
2010/9・11


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