■正しい狂犬の飼い方



 元就は石田三成という男が嫌いだった。と言えば簡単な話だったかもしれないが、あえて言うならば興味が無かったと言うべきだ。元就は狂った犬に向ける感情も、また獣を愛でる気持ちも持ち合わせていなかった。駒にも使えないし邪魔にしかならない。三成の餌付け役の刑部が彼を戦の立役者にすると言わなければ元就は三成をどこぞの穴蔵の熊のように床下にでも押し込めていたかもしれないぐらいだ。
 邪魔と思っている上にどれほど時間が経とうが愛着もわかないのだから事態は好転しない。元就は人を駒としかみれない男だった。駒にならない生き物に割ける時間も脳もない。
 同時に三成もまた、元就に興味がなかった。いや、興味は少しはあった。といってもそれは刑部が元就と親しいと思っていたからだ。あの刑部が他人と仲良くするとは珍しいと気を配っていただけだ。元就が死ねば刑部かが悲しむと信じきっていた。三成は未だに友情と言うものにたいして心を砕く。元就が主君に対し無礼な口をきいても、刑部が止めるから殺すのはやめていた。それは殺したくないから殺さないのではなく、殺してはいけないから殺さないだけだ。彼らの間にあるものは、友情とはほど遠い。



 その日、大阪城で三成は珍しく愛刀を持っていなかった。常に秀吉に不義をはたらいた輩を滅殺するために刀を手離さない三成だったが、その日、その刀は手入れに出していた。自室に閉じこもり何も喋らずじつと壁を向き微動だにしない。さしもの刑部も部屋に入った瞬間、座ったまま死んでいるかと思ったほどだ。
「三成。客が来ている。主と話がしたいらしい。会ってくれぬか」
「誰だ」
 間髪入れずに帰ってきた答えに、刑部は内心安堵しながら、「毛利元就だ」と言った。三成は壁を向いたまま、少しばかり何か考えたのか沈黙し、そして「わかった」と答えた。
「刀を用意しろ」
「相、わかった」
 何を理解したのか刑部は少し笑った。刀を持たぬと人に会えない三成はなにか考えたらしいが、口には出さずにそのままぬぅっと暗闇に消えた。

 三成は刑部に渡された刀をひっつかんでのろのろとやってきた。元就はいつもの甲冑姿で畳の上に正座している。三成は元就の前に立ち、一言、何のようだ、と低く呪うような声で吐き捨てた。元就は目の前の三成の膝を凝視し、ちらりと三成の持っている刀に目を移した。刑部が持ってきた刀はいつもの三成の刀ではなく、業物ではあるが美しい装飾は戦場向きとは思えない、綺麗な見た目の細い刀だった。金の装飾が三成の不吉ないでたちに笑えるほど似合わない。華美な装飾をぐしゃぐしゃとまとめて引っつかんでいる。
「いつものはどうした」
「手入れにだしている。家康の首を斬るためによく切れる刃でなければならないからだッ!」
 口角から泡を飛ばす勢いで三成は吠えた。そんな三成の唐突な激昂にも表情をぴくりとも動かさず、それはいい心がけだな、と元就は半ば適当な風に言った。
「しかし徳川を殺すにはその刀は少し美しすぎるな。石田。それにお前のあの刀がない時徳川を殺すことになったとき、わざわざ人を殺したこともなさそうなそんな物を使うお前の気がしれん」
「ならば今すぐ誰かを斬り殺せばいいのか?」
「お前に贈り物がある」
 三成の言葉を聞いていないのか、元就は背後から袋に入っている刀を前にずいっと引き出した。
「お前にやろう」
 三成は一度怪訝な顔をしたが、あっさりとそれを受け取り、布を半分ずり下げた。黒い柄と深い紫のまがまがしい鞘からシャッと音を立てて、半分、刀身が空気に晒された。刃渡りはおそらく三成の愛刀と同じほどで、分厚さが違う。まるで斧のようで、明らかに人の肉と骨を同時に裁つ用途であることが伺える、黒く鈍い刃だった。
「それなりの名刀だ。よく人を斬った。お前には常に戦える状態でいてもらわねば困るのだ。徳川を殺すのは、貴様なのだからな」
「・・・・・・」
 刀には満足したのだろう。三成は刀を持ち、ふん、と元就を見下ろした。感謝の言葉など最初から期待していなかったのだろう。元就は用件はそれだけだ、と言って、失礼する、とさっさと退出してしまった。

 殺すしか脳のない男に殺せない理由を持たせるな。そう元就は言って刑部を睨んだ。
「使えないのならば殺せと言っただろう。貴様、勝つ気がないなどと抜かしたら同盟は破棄だ。貴様の首から落としてやろう」
「相すまぬ。人間が刃物より堅いとは思わんでな。先に刃が痛むとは、刀にも困ったものだ」
「刀は錆びる上に刃こぼれもする。大事な場面で人が殺せないならあの男に価値はない。肝に銘じておけ」
「極めて了解」
 元就はさっさと帰ろうと大阪城に背を向けたが、大谷が笑っている気配がしたので再び振り返った。刺すような元就の視線に、大谷は笑みをひっこめた。
「大谷。我は石田に興味がない。駒としても使えぬ狂犬だ。いつ発狂するかもしれん獣に手を焼きたくはない。しかし唯一我が石田に関して買ってやってもいいと思っているものは、復讐のために動く限り奴は刀よりよく切れるという点だけだ」
「わかったわかった。我も気をつけておこう。大切な同盟相手に大切な友人が殺される日がきても心が痛む」
「ほざけ」
 今度こそ毛利は振り返らずに門を出た。重い音を立てて閉じた城門は、厳重に閉ざされた今の主の心を彷彿とさせた。
  2012/5・30


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