■海は太陽の愛したものを愛した



 復活した東西同盟に敵は無い、と意気込んだ二人が九州に攻め込んだのが1日前のことだった。鬱蒼と生い茂る自然やその環境に、長曾我部軍はともかく徳川軍が足並みを乱されることが目立った。慣れない土地での戦が、いくら屈強で頑強な徳川軍の兵士と言えども、普段どおりの力を出すことを拒まれてしまう。奇襲には奇襲を、と忠勝に別働隊を引かせ、なるべく広い土地に出るように努め、島津軍のペースに巻き込まれないように行動するのだが、それでもやはり現地の兵は強い。苦戦を強いられる中でも家康はひたすら多くの敵を自ら呼び、多くの敵意の的になりながら片っ端から敵を昏倒させていく。その背を守り、時に前に立ち槍を振っていた元親だったが、死に物狂いで突進してきた若い男が、その槍を偶然にもすり抜け、無防備な家康の背に体当たりをぶつけた。元親に任せきってしまっていたその背を押され、家康は縺れるように転がり、若い男と共に近くの崖から落ちかけた。家康はそのとき反射的にその若い男を突き飛ばし、彼を地面の側に押しやった。その反動でさらに家康は勢いよく崖下へ落ちることとなり―――そして元親も反射的に家康に飛びついて抱え込み、共に下まで落ちてしまった。そんな元親が目を覚ましたのは数刻後のことだった。

 丁度下に川が流れていたらしく、元親はびしょ濡れの状態で川辺に上向きに倒れていて、家康は甲冑を外して傍らにしゃがみこんでいた。身体は濡れていたが、そう寒いとは感じない。濡れることには慣れているし、着物は家康が脱がしたらしい。元親が家康を寝転んだまま見上げると、ぱち、と瞬きをして、家康が目を覚ました元親に気付いた。
「お、起きたか。どこか痛む所はあるか? 意識ははっきりしているか?」
「ええーいべたべた触んな! 落ち着け!」
 声だけは冷静なのに頭から腹や足までぺたぺたと触れてくる家康の手を掴んで止め、改めて自分自身の状態を確認する。立ち上がり、擦り傷程度しか傷がないことを確認してから、座りっぱなしの家康を見下ろす。
「俺はどこも何ともねぇ。お前こそ、どこか悪い所は?」
「落ちた怪我はお前のお陰で特になんとも無いんだが、落ちてからお前を担いでここまで来る時に足を滑らせて捻ってしまった」
「・・・・・・立てっか?」
 元親が手を差し伸べると、家康はその手に掴まり、ぐっ、と腰を浮かせる。しかし一度顔を顰めて、どすっ、と再び川原に腰を降ろした。右足首を摩りながら、うむ、と歯を食いしばる。
「参ったなぁ」
「全然立てねぇのか」
「ああ。いや、無理をすれば立てるかもしれないが」
「無理する必要ねぇだろうが!」
 何を当たり前のように無理やり動こうとしていやがるんだお前は、元親はそう叱りつけ、座る家康に向けて背を向けて、その前にしゃがみ込む。うん? と家康が目を丸くすると、ほれ、と己の背を指差した。
「負ぶされ」
「・・・・・・おお・・・格好いいなぁ元親」
「へっ・・・今更言うなよ・・・照れんだろ」
「うわははは」
 家康は元親の肩に一度手を置いて、しがみ付くように身体を近づける。片足を動かさないようにして背中に寄りかかれば、元親は手馴れたように家康の足の下に腕を引っ掛けておんぶをする。
「俺の着物取れ」
「これか?」
「袖片方掴んでろ」
 元親は己のまだ生乾きの着物の片方を家康に持たせ、もう片方を家康の足下に潜らせ、前で結んだ。まるで母親が赤ん坊をおんぶするような格好だが、これぐらい固定しておけば万が一何かと遭遇しても片手ぐらいは自由に動かせるという話である。元親は家康の甲冑を持って、とりあえず持ってろ、と家康に持たせる。冷たい金属が背中に触れる感触があったが、家康がそれに気付いて手で覆った。
「さて、これからどうするかだな」
「ここからじゃ忠勝に声は届きそうにないな。人の気配も無いし、近くの陣地にとりあえず向かおう。そう遠くは無い」
「場所分かんのか?」
「大して流されたわけじゃないんだ。案内は任された」
「おお。武器も何もねぇのに何なんだこの安心感」
 とりあえずあっちだ、と家康の言う方向で元親は向かう。獣道だが、人の通った痕跡が微かにあった。川があるので人も来るらしい。獣の方が多そうでもあるが。爆音が遠くで鳴っていた。戦況はどんなもんだろうな、と元親が問おうと思ったが、酷だったのでやめた。司令塔を失って、きっと酷いことになっているに違いない。しかし家康は爆音の鳴った方向を見て、ふっ、と微笑んだ。
「忠勝や皆が頑張っている。ん? なんだ元親、その情けない顔は」
「いや、だってよぉ」
「心配する必要は無い。わしらの軍は一枚岩だ。わしが居らずともわしの仲間は意思を持って動ける。今頃落ち着いて、形勢逆転している頃合だ」
「そうかい」
 家康がそう言うのなら、そうなのだろう。元親も微笑んで、頷いた。誰よりも徳川軍を知っている人間がそういうのだから、間違いは無い。心配するなんてお門違いだ。俺は俺の野郎どもを心配して、信じてればいいのだ。
 気温が高い。濡れた身体は丁度いいことに冷えたりはしないようだ。太陽も出ている。夏の日差しを思わせる光が、密林のような森の中を細かく刻んで差し込んでいた。こんな所にも太陽の陽は当たるのか、と元親は思った。
「人の背におぶさったのは久しぶりだな」
 家康がそう感慨深げに呟いた。元親からは家康の表情は見えない。くじいた左足がゆらゆらと揺れていた。
「本多忠勝はどうなんだよ。小せぇ頃散々乗ってたろーが」
「忠勝の場合、肩に乗る、だしなぁ。背中におぶさるとあいつの邪魔になるし。背中から武器が出せないだろう? わしも背が伸びてから、あまり忠勝の背に人前でしがみ付けなくなったし、寂しいなぁ」
「甘えたがり」
「我慢強い子だろう?」
「ちげーよ。お前みてぇのは頑固っつーんだよ」
 ふふふ、と家康が笑い、元親も噴出した。大砲の音が鳴っている。今日も戦でお祭り騒ぎだ。目を閉じるだけで、目を背けるだけで人の死はここから見えない。それでもゆっくり、二人は再び戦場に戻ろうとしていた。仲間のために。部下のために。自分のために。気を抜いた風をして、二人で笑いあっていたけれど、確実に近くで命は散っていたし、二人はどこから何が襲い掛かってきても、返り討ちにしてやろうという気概があった。死ぬまで夢のために生きることは、今も見失ってはいなかった。
「ふーん、じゃあ誰の背におぶさったんだ?」
「信長様だ」
「へー」
 様ね、と元親は口の中で呟く。家康は微笑んだ。
 元親は昔背負った子供が大きくなった分の重さを感じようと思ったが、大して違いは分からなかった。それは徳川家康が、昔から重い存在だったことだろうか、と思った。彼の背に圧し掛かる色々なものは、今も昔も変わってはいない。その肩代わりはできないけれど、彼自身の重さ分は、今持っているのだろうと思う。
 とても重い。彼のくじいた足も、彼のために投げ出しかけた己の命の分も、彼はさっきまた背負ってしまったのではないだろうか。
「さっき元親がわしを庇おうとして一緒に落ちたが」
「説教は後にしてくれや」
「そういうのはやめて置こう。元親がいれば兵達は命令を聞いて落ち着いて行動することができる。きっとさっきの場所は、血の海になったはずだ。わしを突き落としたあの兵が、生きているとは到底思えない」
「そりゃお前を突き落とした奴が無事なわけねぇだろうな」
「元親、あまり茶化すな。わしは怒っとるんだぞ」
「へいへい。でも謝らねぇぜ、俺は。お前を守ったことを」
「お前は、本当に困った奴だよなぁ」
 家康はやれやれ、と呟いて、それでもそっと、安心したように微笑んだ。吐かれた溜息に苦笑が交じっていることを背中で感じて、俺は良い子ちゃんじゃねぇからな、と元親も笑った。
 狼煙が上がっていた。家康に指示されるまでもなく、元親がそっちへ歩いて向かえば、待て、とまれ、と兵が叫ぶ声がする。言われた通りに歩みを止めると、ざっと素早く徳川軍が辺りを囲み、「ああ、竹千代様――――じゃない、家康様!」と歓喜の声を上げた。戦況は、と元親の背から降りれば、徳川軍兵士が家康の肩を抱きかかえる。家康に素早く戦況を伝えながら、さぁ湯を沸かしております、それに医者を、と慌てて人々が奔走する。
「長曾我部殿、殿をお守りいただきありがとうございました! 本当に心配しておりまして――」
「俺は別に守ってねぇさ」
 守ってたのは、ずっとアンタたちだろ、と元親は言った。はい? と徳川兵たちは目を丸くして首を傾げた時、大慌てで首級を挙げて帰ってきた忠勝の普段より興奮したような音に皆驚いて、家康の、元親への自慢げな微笑みは、元親しか見ることができなかった。
  2011/1・9
零時二十五分様へ


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