■薬指の祈り
 「よう」
 マンションの入り口の所に腰を下ろしていた人識を見下ろし、軋識は言葉を無くした。人識を見るのは一年ぶりで、その姿はただ服装が少し変わっただけで特に変化は見られない。低い身長も変化は無いらしく、この寒空のなかハーフパンツにブーツという格好に特に変化も無かった。
 「お前は・・・・・・・いや、いい。何でこんなトコにいるっちゃか・・・」
 同じくこの寒空の中、黒い鞄を肩から提げた軋識はサンダルをひっかけたまま、人識の記憶の中となんら変わりは無い。
 「いや、一回この近くのマンション行ってみたんだけどよ、鍵が何処においてあるか忘れちまって、かはは」
 軽く笑う人識は徐に立ち上がり、ぐっと背伸びをしつつ軋識へと歩み寄った。マンションの前の段差のせいで人識と軋識の視線は同じ高さで交わる。一段下がれば、がくんと人識の視線が上をうかがう形へとなった。
 「メールでも入れれば――――」
 「俺携帯持ってねぇんだよ」
 持てよ。
 軋識は即座にそう言い返そうとするが、この弟分に持たせれば無くすんじゃないかという不安も出てきた。拭いきれない不安は確実に無くすであろう確信へと変わる。
 「なぁ大将、ここに仕事で来たんだろ?」
 「まぁ・・・・・・・、・・・・・・?」
 どこからその情報仕入れたんだと聞くよりも先に、マンションの入り口から微妙な違和感に気がついた。セキュリティシステムによって閉められているはずの黒い鉄格子が普通に開いている上に――――人の気配がしない。
 「・・・もしかしてとは思うっちゃけど」
 「もしかしてじゃなくて、そのとおり。ターゲットが誰だかわからねぇから、大将の言いつけ通り『全員殺しました』」
 へらへらと笑いながらそう言う人識はどっからどう見ても人を殺した後には見えない。まぁこいつが返り血を浴びないのは昔からか、なんて思ったりしながら、軋識はやれやれと小さく溜息を零した。
 「なんだよ、お疲れ様ーとか、ありがとうーぐらいねぇの?」
 「・・・ターゲットが誰だか分からずとも全員殺すのが零崎だっちゃ」
 なんとなく、言われたとおりに言うのが癪なのでそう吐き捨てれば、人識はむっと顔を曇らせた。返答がお気に召さなかったらしい。
 「考え方は違くとも、ちゃんと言いつけ通りに行動した俺にいいこいいこぐらいしてもいいじゃねぇか」
 「お前・・・今年で幾つになるっちゃか・・・」
 年齢にあわずとも見た目的には問題の無い台詞を吐く、少なくとも50人は殺したであろう家族にげんなりしながら、腕に絡みついてくる背の低い青年を突き飛ばす。
 「たいしょー」
 「うるっせぇっちゃね・・・よくやったっちゃ。ほら、これでいいっちゃか?」
 「大将・・・歳とって切れやすくなった?」
 「・・・・・・・」
 その問いには、言葉を濁すしかない。
 つい一週間前、チームが解散した。
 死線のことだから、いつ解散するかどうか分からない集まりだったせいか、昔から覚悟はできていた。だから――――兎吊木のように泣き叫んで鬱になったり、屍骸のように死線の命令をまだ聞き続ける壊れた機械のようにもならなかった。
 ならなかったけれど――――――自暴自棄には、なった。
 残された『零崎』のために兎に角片っ端から殺して殺して殺しまくって―――これが後に『零崎の中で最も惨忍な手口で最も大量に人を殺した愚神礼讃』と言われる羽目になったきっかけにもなったのだが―――とにかく零崎として生き続けて。
 「・・・・・・・ああ、俺が悪かったっちゃよ」
 「何だよいきなり?」
 人識の問いかけによって突然頭が冴え、軋識は頭を振った。歳をとって冷静になる所か―――餓鬼のように暴れることしかできない。
 「・・・・はー・・・・」
 「?」
 たっぷりと溜息を吐いて、ずり落ちた鞄を肩へ掛けなおす。
 「分かった。じゃ、仕事の褒美に飯でも奢るっちゃ」
 「マジで!?なんだよ大将さっきから怒ったり疲れたり優しくなったり、忙しいな、おい」
 まったくだ。軋識は小さく笑みを零して、ひょこひょことついてくる人識の頭をぐしゃぐしゃと掻き撫でた。「うぶっ」と変な悲鳴を上げる人識が、軋識の手を払いのけ、「何すんだよ大将、」と半ば体当たりのようにひっついてくる。
 「いや、今更お前の良い所を再認識しただけだっちゃ」
 「・・・俺なんか馬鹿にされてねぇ?」
 「してねぇっちゃよ」
 きひひ、と楽しそうな笑みを零す軋識を見上げていた人識が、じとりと睨み上げ、「キスすんぞこんにゃろ」と呟く。
 「お前の身長じゃ無理だっちゃ」
 「かはは、その台詞、買ったぜ。部屋についてから思い知らせてやらぁ」
 「さぁなぁ」
 曖昧な言葉で濁らせて、軋識は素早く人識の額にキスを落とした。乾いた唇を押し付けるだけのキスに、ぎょっとして人識が目を見開く。
 「・・・・・・・口にはしてくんねぇの?大将」
 少し間を開けて、人識が挑発するように笑った。それに苦笑を返しながら、軋識が肩を竦める。
 「ませてる餓鬼は嫌いだっちゃよ」
 「かはは、あー、くそ、ほんとに容赦しねぇ」
 人識は絡み付いている軋識の掌をべろりと嘗めて、ちゅ、とおまけに薬指にキスをした。
2007/12・09


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