■その時はまだ
 軋識と人識が、壊れた携帯片手に帰ってきたのはつい一昨日のことだった。
 元は双識が喧嘩を買ってしまった殺しに、軋識が人識に体験学習のノリで連れて行った後のことだ。
 元々の目標は殺すことはできたのだが、そこに介入してきたライフル使いとナイフ使いに、みすみす攻撃されたのに逃げられてしまうという失態をやらかしてきたのだが。
 「ぬるいですよ」
 ソファに腰を下ろしたまま、景識は吐き捨てた。
 双識は困ったように景識を見据えるだけで言葉は発さず、軋識は一瞥もせずにカップの中のぬるくなった黒い液体で喉を湿らせる。珍しくフルートを吹いていた曲識は、己で作曲したものではなく、市販の楽譜に目を滑らせながら演奏を続けている。
 「そんなこと言ってもね」
 双識はテーブルに近い木製の椅子に座り、新しく淹れたコーヒーの入ったカップをテーブルに置いた。
 「今回のことは仕方が無いと思うよ。むしろ無事に帰ってこれただけでも儲けものだろうに」
 「だからといってせめてガキは殺すべきですよ。接触してきたのにみすみす逃す上に、まだ殺せて無いなんて、許せないっすね」
 「我侭を言うものじゃない。景識」
 フルートを奏でるのを止め、曲識はすっと口を離した。顛末を聞きながら沈黙していた曲識は、未だ不貞腐れた顔をした景識を諌めるように呟く。
 「勝てるか勝てないかというのは相手の相性によりけりだろう。例えあの場にお前が居たとしても変わらないことに関して、そう偉そうに物を言うものじゃない」
 「偉そうになんて言ってませんよ――――それに勝てるか勝てないかなんて不肖達にゃ関係ないでしょうに」
 殺すことが、前提条件だろうが。
 景識は暗にそう言いたげに曲識を睨んだ。そんな視線も何処吹く風とでもいうように、曲識は涼しげな顔で景識を見返す。しかし、その言葉には賛成だったのか、小さく、ほんの小さな声で「悪くない」とお得意の台詞を口に乗せた。
 「しかしそれで死んだら元も子もない。景識、お前はもう少し現実的にものを見分けるべきだ」
 「・・・・・・・曲識の兄さん。不肖が言いたいのは――――不肖たちゃ、生きてる限りは人を殺すべきだと言いたいんですよ」
 景識は一つの意思を持ってそう答えた。
 軋識と人識が危機に瀕したのは分かった。殺す余裕も無かったのも、分かった。
 それでも景識なら、ライフルで狙われて、反対側から敵が来たとしても―――――まだ人を殺すことを選択しただろう。
 例え自分が死んだとしても。最後まで殺人鬼としての名前どおりに行動に移すだろう。
 景識は一歩も譲らず、強い意志を持って言い続ける。
 「不肖は生きるだの死ぬだのそういうレベルで物は語ってないつもりですよ。ましてやライフルなんて、遠くから視られる行為なんてする奴は、不肖は見過ごせません」
 「それは、景識くんの考えだろう。――――悪いけれど、私は相手が殺せずともアス達を言及するつもりは無いよ」
 未だ許せない景識のいう事をやんわりと遮り、双識は呟いた。

 「家族が死んだら―――――悲しいだろう」
 
 その言葉に、一瞬景識は絶句し――――立ち上がった。
 「不肖は、」
 語尾が震える。
 「哀しくなんて、無いです」
 「景識」
 「不肖は、機織が死んで嬉しかっ」
 「―――――そこまでだ」
 曲識がゆるりと立ち上がった。 景識は空いた右目で曲識を凝視する。
 「その台詞は厳禁だ。それは、『零崎』でもない」
 「――――――――どうせ」
 景識は曲識を睨んだ。
 「どうせ曲識さんには、分からないでしょうよ―――――!」
 怒鳴りそうになる声を押しとどめ、景識は身を翻し、リビングの扉から出て行ってしまった。
 ばたん、と大きな音を立てて閉じられたそれを見送り、曲識がやれやれと首を振りながらもう一度ソファへと腰を下ろした。
 「―――――アス」
 「別に気にしてねぇっちゃ。あいつの言うことは正論だ。零崎にとっちゃな」
 沈黙していた軋識が口を開いた。どこか遠くを見るかのような視線で、先程まで景識が座っていた場所を見据えると、微かに口元に笑みを浮かべる。
 「俺の失態だっちゃ。後で謝るっちゃ」
 「・・・アス。私は」
 君が謝る必要は無いと思うけれど、と。そう続くであろう言葉を軋識は笑いかけることで止めさせた。
 「景識が言ってるのは全部無理なことだっちゃ。それはあいつもよく分かってる。だが、零崎ってのは無理を承知でも人を殺す集団だ。だからこそ、『鬼』と呼ばれる。家族愛だなんだと言っても、それが一番、殺し名で浮いてる理由だっちゃしな」
 「でも、」
 双識は、ふっと扉に視線を移しながら呟いた。

 「私は、人殺しよりも大切なものがある鬼でも、いいと思うんだよ」

 その言葉は、その頃はただの願望でしかなかったが―――その言葉に軋識は緩やかに笑みを作り、そして曲識は楽しそうに「悪くない」と。そう言ったのだった。
2007/11・19


TOP