■監禁御礼

 「たーだいまぁー」

 自宅の扉を開け、兎吊木は鼻歌でも歌うぐらい上機嫌のように玄関へと入った。脱ぎ捨てるように純白の靴を放り、一直線に、廊下を突っ切る。お目当ての扉の前で両足そろえて立ち止まり、兎吊木の着ているスーツと同じ純白の扉のこれまた白い取っ手を掴んで回し、押した。
 ガチャン、と音を立てて扉が開き、電気のついていない部屋の中を電気をつけずに入る。

 「良い子にしてた?」
 「黙れ死ね」
 「つれない返事」

 暗い部屋の中へ一歩踏み出して、部屋に充満する甘ったるい匂いに満足そうに兎吊木は微笑んだ。
 開け放していた窓の真下で、なるだけそれを吸わないように倒れていた軋騎は、兎吊木が入るや否や唸り出しそうなほど険悪な顔つきで睨んでくる。
 監禁されて、一週間がたっていた。
 部屋の中央にある香炉からは白い煙がゆらゆらと揺らめきながら立ち上っている。部屋に連れてこられて一番最初に薬を嗅がされて眠ってしまった後、この部屋で気が付いたときから延々と見てきていた光景だった。
 何か危ない性能でもあるのか、軋騎の四肢には感覚がなかった。指先が痺れている。全身を使えば芋虫のように這うことは出来るが、部屋から脱することなどできる可能性は皆無に等しい。
 食べ物などは強制で食わせられる上、排出行為は抱き上げられて連れて行かれたりなど屈辱の連続の日々に軋騎は何度舌を噛み切ってやろうかと思ったことか。しかしそれは軋騎のプライドがそれ以上に許さないし、零崎として自殺など最もありえない行為だ。
 兎吊木もそれを知っているからこそ猿轡なんて無粋なもの取り付けたりなどはしなかったし、体全体を痺れさせるまでの強い効能をもつ物は使わなかった。

 「猫みたいだよ式岸」

 体を縮めてせめて兎吊木から距離をとりたいともがく軋騎を眺めながら、兎吊木はくすくすと笑ってやる。

 「何しに来た・・・っ」
 「何しに?愚問だなぁ。ここは俺の自宅だぜ?自分の家を徘徊するのがそんなにおかしいか?」

 肩を竦めて見せる兎吊木は、普段と変わりない歩調で軋騎に近づき、そしてしゃがみこむ。
 軋騎は兎吊木に何をされるか分からない不安と、兎吊木への憎悪で困惑した表情をしていた。兎吊木の手が軋騎のシャツへと伸ばされ、ぐっと捲り上げられる。
 腹部は昨日兎吊木に抉られた傷によって赤く爛れていた。薄皮だけ切りつけようとするも、素人のせいで肉までカッターナイフが到達していたせいか、夥しい血が溢れ出ていたそこも、今となってはかさぶたになっている。
 所々抉られている腹の凹凸部分を優しく撫でながら、ふふふと兎吊木は声を上げて笑った。

 「まだ痛い?」

 うっとりと微笑む兎吊木に、動かない己の四肢に舌打ちしながらはっと虚勢だけで笑ってみせる。

 「自分で傷つけておいて心配してくれるとはな」
 「別に心配して無いさ。お前の苦しむ姿が見たいから聞いただけだよ」

 白く細い指が、かさぶたを剥いで肉の切れ目に爪を立てた。

 「ぁっ、があぁ、ああ!」

 みちみちと肉がちぎれる音が脳天へと突きあがって、軋騎は悲鳴を上げる。

 「痛い?痛いよな。見てるだけで痛いもんな」
 「ぁあ゛ああああっ!ひ、ぐ」
 「よしよし、大丈夫だよ」

 ぱっと手を離すと、微かに浮いていた軋騎の頭がごつっと音を立てて床に落ちた。ぶるぶると震えながら軋騎が喘ぐ。
 手に付いた軋騎の血をぺろぺろと舐めながら、にこにこと兎吊木は笑い、くしゃくしゃと軋騎の頭を撫ぜた。

 「お前の中はきっと綺麗なんだろうな。今すぐにでも見たいんだけど、死んじゃったらどうしようもないしなぁ。死線に怒られるのはごめんだからね、いつか仕事で大怪我しちゃったとき、お前の手術は俺がやってやろう。何、人間の構造ぐらい分かってるから、きっと平気だ。絶対に殺させやしないから、安心するといい」

 屈託無く笑う兎吊木に寒気を覚えながら、両手で腹の出血を止めることも出来ないので、床に押し付けるようにして気休めのように血を止めようと足掻く。

 「そういや挨拶がまだだったな。ただいま軋騎」
 「―――――っ、は、くっ」

 それどころじゃない、と軋騎は肩で息をしながら霞む頭に鞭を振る。一週間も体にお香を馴染ませ続けてしまったせいか、頭にまで来てしまったのか、痛みすらぼんやりしてきてしまう。
 次の瞬間、前髪を強く掴まれ、無理やりに体が上に持ち上げられた。ずっ、と腹部が床に擦り付けられて、痛みで叫ぶ。

 「おかえりは?」

 切なそうに問われて、ああ、おかえりと言わなければ悲惨なことになるんだろうな、と予想がつき、声を出そうと口を開けるが、舌先が痺れて声が出なかった。

 「―――――、っか――」
 「・・・・・・・・・・・・・」

 咳き込むように一文字しか発音できない。
 ぐいっと前髪を引っ張られて、噛み付くようにキスをされた。チョコレートと血の味が軋騎の舌先に伝わった。
 この男、血肉を見ながらチョコでも食いやがったのか。零崎でもそんな奴いねぇよなどといつも通りの思考に戻しながら、やっと口が離され、息を吸うことが許される。

 「がっ、あっ、あ、あぁ・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・今日、死線の蒼にお前を離すようお叱りを受けてしまった」
 
 まったくやれやれ困ったものだと悲しそうに呟く兎吊木に、そうかそりゃよかったと喘ぎながら軋騎は思う。

 「欲しいと思うものには結局後一歩で届かないんだ。どうしたもんかな」
 
 ふーと溜息を吐く兎吊木に知るかと吐き捨てたかったが、意識が朦朧としてきたせいか何も言えない。床にぐったりと倒れたままの軋騎の頭を撫ながら、兎吊木は立ち上がり、部屋にある香炉を持って、扉へと帰っていく。

 「もしも、俺がお前のことを愛していると言った時、お前は笑うかな?

 ぱたん、と扉が閉まった音がした。何を言ったのかよく分からなかったけれど、酷く笑えてきたし、涙も出てきた。
 腹も痛いし、心臓も痛かった。
 甘い匂いの残る部屋に、一人だけ残って、軋騎は静かに「莫迦な奴」と心の中で呟いた。
2006/1・21


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