■永遠と続く死線の真上で
「俺のことを殺せないのかい」
白い兎は笑いながら言った。
兎を床に押し倒し、先程兎が持っていた小さな凶器と呼ぶには酷くあどけないカッターナイフを取り上げた殺人鬼は、苦しそうに、喘ぐように呟く。
「俺は、自分の獲物以外で人間を殺す気は無い」
殺したい衝動を抑えているようで、兎の目にはとても滑稽に見えた。
人を殺すのに嫌がる殺人鬼なんぞ!
鼻で笑いながら、兎は鬼を挑発する。
「はっ、あの釘バットか?愚神礼讃とか名前があるらしいじゃないか。神、神、神とまぁ・・・女々しい限りだな。自分の願望を死線の蒼に飽き足らず、自分の凶器にすら移すのか。お笑いもんだぜ式岸軋騎。未だに救ってもらえると考えるところからして惨めったらしくもくだらない。駄々を捏ねてる餓鬼そのものじゃないか。お前みたいな人殺しに殺される人間もそりゃあ悲しいところだろうなぁ」
「・・・・・・・黙れ。殺すぞ」
「だから―――――――――――殺してくれって頼んでるんじゃないか」
兎の細い手が、上に乗っかって見下ろしてくる鬼の華奢な手首を掴む。
ゆるゆると緩慢な手つきで兎の首に鬼の手が添えられた。
耳鳴りが止まない。
ぐ、と喉奥で鬼が唸った。
「随分と苦しそうだな式岸。状況からして俺のほうが苛められてるって言うのに、なんとも嗜虐心をそそる表情じゃないか。殺人鬼っていつの間にそんな人間みたいな顔ができるようになったんだ?」
ふふふ、と女のような声で兎は笑う。カナリアのような高い声が、耳の奥で反駁するのに、鬼は顔を顰めた。
「式岸軋騎が、いつもどんな殺し方をするのか、お前は知らないんだな」
「知らないさ。まったくもって、ご存知あらせられない。死線のために人を殺すお前なんて、可哀想で見ていられないよ」
「平気で嘘をつく、お前の気がしれない」
「平気で嘘をつく、ねぇ・・・俺よりもお前の方が嘘の頻度が高いだろうよ。零崎軋識でいても、式岸軋騎でいても、ずっと嘘の姿だろう?」
困惑する鬼に微笑み、兎はげらげらと笑いながらたたみ込む。
「そういや、本当のお前は式岸軋騎なのか零崎軋識なのかはっきりさせてくれよ。どちらなんだか分からない。嘘の名前を呼ぶのはあんまり好みじゃないんだ」
「てめぇに呼ばれる名前はどっちも嫌だね」
ははっと快活に笑って、兎吊木は素早く上半身を起こしし、睨みつける殺人鬼の唇に掠めるようなキスをした。
「予言してあげよう。お前はきっと、最後に愛する死線の蒼を取るね」
耳元で囁いてやると、いつもの調子で鬼は兎の首を引っつかみ、もう一度床に叩きつける。その衝動に身を任して、その手に持ったカッターナイフを適当な長さをちきちきちき、と出して兎のその白い耳に突き刺した。
「ピアス穴にしては縦に長いな」
ぶつりと音を立てて貫通した耳の痛みに兎が顔を歪めるのに、至極冷静な鬼の声が降る。
あは、とキチガイのように兎は笑うと、「男の勲章が増えちまったぜ」と鬼に笑いかけた。
「膿んでしまえばいい」
「耳が切り落とされたら鏡を見るたびにお前を思い出すよ」
でもやっぱり、兎は声に出さずに思う。
殺してはくれないんだね。
口に出すとカッターナイフが何処に突き刺さるか知れないので、黙っておいた。
ただ耳が痛かった。
死線を跨ぐにはまだ遠い。
2006/12・17