■憂鬱オレンジ
柑橘系の香りが、鼻を擽る。
何も無い部屋の、窓際に座り、兎吊木はオレンジを頬張っていた。
朝食なんだか昼食なんだか分からないけれど、愛用している寸足らずの白衣にぽたぽたとオレンジの汁が垂れるのも気にせず、ぺろりと口端の果汁を舐め取ると、やっと兎吊木はこっちをむいて、にやぁ、と笑った。
「こんな所までやってくるなんて、お前は随分暇なんだな式岸。まぁ遠出して単身でつっこんでデータとか力ずくで奪うような野蛮なことしかできないんだから、仕事が滅多に無いっつったら無いよなぁ」
「お前には一生かかってもできないことだからな。凶獣に頼まれたデータを持ってきた」
ポケットからROMを取りだし、兎吊木に見せる。「流石仕事が早いね飼育係は」と心にもないお世辞を言いながらくつくつと笑うと、「そこいらの床にでも置いてくれ」とどうでもよさそうに指示される。
「大丈夫だよ。この部屋だけは毎日掃除してるんだ。一時間前に綺麗にしたばかりだ」
「お前がじゃねぇだろう」
「だからどうしたっていうんだい」
「自分の手柄のように言うな。お前が箒やら掃除機やら持っているのを想像するだけで明日の天気が槍のような気さえする」
「そりゃ楽しそうだな。世界中に磔死体が溢れるぜ」
けたけたと、今度は声を上げて笑う兎吊木に嫌気が差して、すぐ足元に何のデータが入っているかわからないが、ROMを置く。
これで己の仕事は全て完了した。謝礼に頼みごともあったしすぐに帰ろうとすると、オレンジを投げつけられた。
片手で受け止める。
「もうちょっと居てくれよ。暇で暇で、仕方が無いんだ。俺と同じ空気を吸うことすらも嫌だったりするかい?」
「そういわれると、そんな気もしてくるな」
正面の睨みつけるとオレンジを一個食い終えた所らしかった。
白衣で手を拭き、意味無く次のオレンジに手をかける。プシッ、と音を立ててオレンジが真っ二つに裂かれた。ぼたぼたと、オレンジ色の液体が白衣に染みをつける。
「近頃漫画を読んだんだ。妖怪が出る漫画でね。主人公の親が妖怪に殺されるんだけど、自分みたいな孤児が増えないように、主人公は妖怪退治に赴くバトル漫画さ」
「まぁ普通だな」
「人を道連れにしようとは思わないか」
立っているのにも嫌になってきたので、床に胡坐をかいて座る。近くにあったROMを踏みつけないようにどかして、オレンジもそこに置く。
「自分だけ苦しむなんて理不尽だ。親が殺されるとかってんなら、救いたい人間が救えば良いじゃないか。赤の他人を救って善人気取りとは笑わせる。もしも実の親に犯されたり暴力振るわれたりしてたんなら、妖怪万々歳だろ?他人の事情に知らずに口出しして、救っただけで喜ばれるとは毛ほども思わないさ」
「で?何が言いたい。その漫画つまらなかったからの愚痴か?」
「どうして殺人鬼って悪い奴にされるんだろうなぁ」
至極、真面目そうに。
まるで哀れむかのように可哀そうなものを慈しむように、兎吊木は呟いた。
「人を殺すってだけで異常に扱われて、人を殺すってだけで畏怖されて・・・まったく、かわいそうに」
かわいそうに。
よくほざく。
「かわいそうだって思わないかい式岸。世間には零崎なんていう殺人鬼集団なんてもんがいるらしいじゃないか。なんでも、一人でいるのが嫌な殺人鬼が、家族を作ったなんていう、寂しがり屋の殺人鬼の集まりが」
「・・・・・・・・お前なんかに殺人鬼がなんたるかを語られて、零崎ってのも見下されたもんだな」
「おいおい何で怒るんだよ。ふふふ、可愛いなぁ式岸」
睨み付けると、兎吊木はうっとりと笑った。窓辺からふらふらと、今にも転びそうによろけながら立ち上がり、己の方へ寄ってくる。
目の前に止まると、手に剥いたオレンジの果実を乗せて、己の口元に押しやってきた。
「お食べよ。おいしいよ」
くすくすと笑いながら差し出してくる手を、思いっきり振り払う。
「お」と呟きが漏れるが特に思うことも無く、素早く立ち上がり胸倉を掴んで、床に押し倒した。
どたん、と兎吊木の背が床に叩きつけられる音がして、床が少し、揺れる。
「お前に、零崎は語らせない」
低く、唸るように宣言する。
「てめぇなんぞに人になりそこなった俺達をとやかくいう権限は無い。てめぇなんぞに、零崎が分かってたまるか」
兎吊木は、ふふふ、と笑うと、胸倉を掴む己の手を掴み口元でべろりと舐めた。
虫唾の走るような声音で、ずれたサングラスから覗く黄金色の瞳で。
兎吊木は言う。
「でも、お前のことは分かってるつもりだぜ式岸軋騎」
黙らせるために前髪を引っつかんで床に叩きつけた。
2006/11・20