■ キス一回の言い訳



「あすぅ」
 べとぉ、と双識はがりがりの肉体を軋識にすりつけてくる。子供が甘えるように顔を近寄らせてくるので、眼鏡が当たりそうになった。軋識は片手でその頬を遠ざけて、やめろこの酔っ払い、と定型の台詞を吐く。冷蔵庫からポカリスエットを取り出してコップに注ぎながら、人識はそれを自然と冷めた目つきで見下してしまっていた。
「あすぅーあーもーかぁいいねぇアスはほんといいこだねぇいいこいいこうふふふふ」
「おいっやめろっ毛が抜けるっ」
 ソファの上でいちゃつく成人男性、その上どちらもおっさんに片足を突っ込んでいるような年齢だ。それが片方がもう一人の頭をこねくりまわしている。後ろに撫で付けた軋識の髪がぐしゃぐしゃにされて、絡んだ毛で頭皮が引っ張られるのかぎゃいぎゃいと喚く。酔っ払いはなんて煩わしいのだろう。人識も酒を飲んだことがないわけではないが、あのような辛い飲み物を飲むのならお汁粉でも飲みたいものだ。テーブルの上に並んだ缶ビールとつまみの残骸を睨んで、人識は一先ず口を挟むのをやめる。軋識にべたべたする双識を見ると胸がむかむかとしてくるのだが、このおっさん達の間に挟まれるのは断りたいイベントだ。軋識もたまに矛先を人識に変えようとする双識を捕獲するため、頭をぐしゃぐしゃにされながらもその体を固定したままにしている。針金細工のような男といっても、それは身長もあるので押さえつけるのは容易ではないらしい。あまり酔っ払っている風には見えない軋識は、違う意味で顔を赤く火照らせていた。でれでれになっている双識はどうみても酒焼けだが。
「うふふ、アスはちっちゃくなったねぇ昔はあんなに大きくってかっこよかったのに・・・あ、でも今もかっこいいよぉ。でもやっぱりかわいいねアスは、うふふふ」
「へぇへぇそうっちゃか」
「うふふ、ちゅーしようちゅー」
「眼鏡がいてぇから嫌っちゃ」
「眼鏡かっこいいだろう? ほらほら萌えアイテムだよぉ、うふふ」
「やめろうぜぇ」
 ノリとしては素面と大して変わりないが、言うことと動きが酷くうざったい。ちゅーちゅーとテメェはタコか鼠か、と人識は心の中で毒づいた。ウザイ兄、というレッテルは既に貼られているのだが、一応人識は自殺志願の零崎双識の実力は買っているのだ。その殺し名の中では悪鬼とか言われる男が、年上の男にでれでれとしがみつきキスまでせがむなど見ていられない。自然と睨むふうになってしまい、両腕を拘束して疲れて眠らせることを目的とした軋識が困ったような顔を人識に向けた。
「おい人識、もうレンのことは俺に任せてもう寝たらどう」
「アス、すきだよぉ」
「んぶっ」
「・・・・・・・・・・・」
 軋識の台詞の途中で、軋識の後頭部を鷲づかみ、双識が軋識の唇に噛み付いた。双識は眼鏡を片手で外している。どのような拷問で目の前で家族同士の、しかも同性の、その上片方は自分が気になっている人間のキスシーンなんぞ見なければならないのか。
「て、め、ええ、んぐ」
 ぐぐぐ、と軋識が力ずくで双識を引き剥がそうとするが、酔っ払いの馬鹿力か、双識は再び軋識の唇に吸い付く。口付けというよりは唇をもぐもぐと食う勢いだ。唇以外にも頬などにがぶがぶと噛みつくせいで、双識が満足する頃には軋識の口元は唾液でべとべとの上、歯型まで残る悲惨なものであった。
「く、・・・・・・・・ぶはっ、レン、てめ、ぇえ・・・・・・」
「うふふ」
 ちゅ、ちゅ、と恋人同士のうざったいキスのように双識は何度も何度も唇を押し付ける、舐めると好き放題だ。激昂する軋識をうっとりと見上げ、しばらく眺めると、ふ、と瞼を閉じた。眠ったらしい。後にはにやけた顔で静かに寝息を立てるだけだった。
「この、野郎・・・・・・」
 軋識はその間抜け面を見下ろし、今にも殴りつけそうであったが、結局やめて立ち上がる。双識の頭がソファに落ちると、ん、と双識が一度呻いたが、それも構わず軋識は部屋から出て行こうとする。違う意味で真っ赤になった顔を手で抑えながら、人識に顔を背けるようにして、唸った。
「人識、おめーちょっとレンがソファから落ちねぇように見とけっちゃ」
「大将どこ行くんだよ」
「顔洗ってくる」
 口調を忘れた軋識はそう言ってリビングを後にする。ぐうすかと寝こける長男を見て、ああ、何やってんだろうと思った。どいつもこいつも、勿論俺も。
「傑作だな」
 ごろりと寝返りを打った双識がソファから落ちても、人識はポカリスエットを飲んで知らぬフリをしていた。どうせだからテーブルの上のビールをいただいて、自分も酔っ払ったフリでもして軋識にキスでもしてみようか。蓋の開いた缶ビールを持ち上げて、少しだけ中身のある缶を見つけ出す。ぺろりと舐めてみたが、やはり苦かったのでやめた。空の缶を床で寝る双識に投げつけてみたが、それでも起きなかったので、顔を洗った軋識が落ちた双識を見て人識を叱る前に退散することとする。投げつけた缶は一応、所定位置に戻しておきながら。
2010/09・17


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