■孤独の檻
 どろりと濁った意識の中、沈殿しているそれがゆったりと思い頭を上げた。
 暗闇の中だと何があるのか認識できない。喉がからからに渇いて、悲鳴すら漏らせなかった。
 じとりと背中が汗で濡れる。
 「     」
 誰かが己を呼んだ。
 ああ、どうか、一つだけ。
 ぼくの証をください。



 新しい零崎としてやってきた少年は己より三歳も下だと言う。
 の、癖にそいつは結構高い(と思っていた)自分の背よりも悠に10cmは高かった。
 「・・・・・・・・・・・・」
 うっかり声も無くす。
 そいつは飯を食っていたのか分からないほどにがりがりに痩せ細っている癖に、無意味なほどに背が高い。その高さを何に使うんだと問いたくなるほどに。
 何せそいつを連れてきた、まぁその父親というポジションについている男よりも僅かながらに高いのだ。絶句する。
 「飯、食いに行くっちゃ」
 「・・・・・・・・・・・・」
 すでに時計は昼過ぎを指していた。昨日からこいつの町一個壊滅させたものの情報操作にてんやわんやだった自分はコーヒーしか喉に通していないのだ。胃は空きすぎてきりきりと痛むぐらいだからどうにかして欲しい。
 脅えるようにびくっと肩を震わせたそいつは一歩後ずさった。こんなひょろひょろしている人間があの惨事を引き起こしたかというと嫌になってくる。あっちこっちに連絡を取り捲っていた己が阿呆のようだ。
 「返事をしろ。何だっちゃか?お前は俺に栄養摂取するのを止める係なのか?一種の拷問かこの野郎」
 「・・・・・・・・・・・・」
 苛々して問い詰めるとぐっと首を引いて下唇を噛んだ。口答えすらしない。
 もしや本当に俺への嫌がらせをしている訳ではあるまい。会ったのはこれが初めてなのだ。もしや他の零崎に命じられている・・・・・・とか有り得そうだな。
 ぴょこぴょこと脳内で、こういう仕打ちをして影でにやにやと笑う人物が数名浮かび上がってきた。思い当たるから嫌だ。
 あの野郎もう勉強教えてやんねーと心の中で決めて頭を掻く。
 「口も聞けねえっちゃか?まったくもって使えねぇっちゃね」
 まったくこんなコミュニケーションの取れない相手を放っといて親父共はどこへとんずらこいたのか。金だけ置いて行くなんてどんだけ放任主義なんだっつーの。
 心の中で毒づきながら、目の前ののっぽを見上げた。目をきょろきょろさせて、何処に目を向ければ良いか迷っているようだった。下を見ると俺と目が合うから俯けないらしい。何ですか?背が低いので気遣ってくれてるんですか畜生。
 ただの被害妄想に発展している頭をひっくり返して名前を思い出そうとする。
 たしか縁起が悪い名前だったなぁと覚えていた。
 「・・・・・・・名前は?」
 「ぜ、ぜろざきそうしき」
 葬式。
 死んでも葬式など挙げられない己らへの冒涜のような名前だと思った。
 しかしまぁ最後が識になるのだから、総識とか双識とか相識らへんだろうな、と決め付けて、名前だけは一丁前に喋れるそいつを見上げる。
 年下に見下ろされるのがこんなにも屈辱的だとは知らなかった。
 「お前、昼飯食ったっちゃか?」
 「た・・・・食べて、ない」
 「喋るんならもっと早く言え」
 無意識のうちに高圧的な物言いになってしまう。これは駄目だ。早く食べないと怒鳴りつけるか殴りかかりそうだ。
 「じゃあ近くの飲食店にでも」
 「食べれない」
 「・・・・・・・あ?」
 外に行こうと扉を開けるとぼつりとそいつが呟いた。
 「食べると、すぐに吐く、し。外に出たくない」
 「・・・・・・・・・」
 「・・・・人が居るかも」
 「そりゃあな」
 「殺したくなるし」
 歩く殺人マシーンかっつーの。
 ぶつぶつと呟くその台詞を拾うのは大変だ。語尾が消え入っていくからもっと聞きにくい。
 つまり。つまりなんですか?
 「俺に何か飯を買って来いと?」
 「それは・・・・・・」
 おろおろと視線が宙を漂う。何だ。何なんだこいつ。
 「君は」
 「君とか言うな気色悪い」
 「・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・零崎軋識だっちゃ」
 そういえば喋って居なかったと頭を押さえつつ言う。
 そこで初めてそいつが笑った。ぎこちない笑い方だった。
 「きししき」
 「で?」
 「きししき、きししき、きししき」
 「壊れたテープレコーダーか」
 うっかり手が出てそいつの頭をチョップしてしまった。「う゛」と潰れた蛙のような呻き声を上げてふらふらとそいつがよろける。
 壁に手をついて本気で痛がっていた。うっかり謝る。
 「わ、悪い」
 「・・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・悪かったっちゃ、から」
 恨めしそうな顔をするな。
 おどおどとそいつの頭に手を乗せる。黒い髪が指に引っかかった。
 「許してくれっちゃ、双識」
 それがおそらく、初めてそいつのことを双識と呼んだ瞬間。
 双識は一瞬きょとんとして、満面の笑顔で微笑んだ、のだった。
 「・・・・・・・・じゃあ、俺は飯買いに行ってくるっちゃから、帰ってくるまでここで大人しく」
 「ぼく、軋識といっしょに居たい」
 ぐっと双識の手が背を向けた己の服の裾を掴んだ。
 何を言い出すのかと後ろを振り返ると最初の表情が一変して、にこにこ笑っている双識が己を見下ろしているのだった。
 「行く先々で人殺して貰っちゃ困るっちゃけどね」
 「軋識と一緒なら、ぼくは人なんて殺さないよ。多分」
 何だ最後の多分って。
 「だってぼく、軋識と一緒に居ると寂しくならないから」
 双識はにこりと唇を歪めた。
 それを理解できないものを見るような目の軋識が見上げる。
 それが幼いながらもささやかな告白だとはどちらも気づかない。


2006/8・24


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