■蛇とマングース
 「はじめまして」
 男はそう言って、にたりと笑った。
 アスと180度違う印象の男に、私は静かに眩暈を覚える。



 久しぶりにアスの顔が見たくなって彼のマンションを訪れた。日本各地に散らばって好き放題暴れまわっている己等の家族に会うには色々と面倒なのだが、連絡の付けやすくするためアスには大体一箇所に居住してもらっている。
 偶に都合のせいで市や町を転々と変えている彼であるから、一応他の零崎に電話をかけてみると、相手は少し不安そうに一言言った。
 『アスの家に入り浸っている男が一人、偶に女が二人来ている』
 家族だからとはいえアスの生活に一々口を挟むつもりは無いが、入り浸る男というのが頭にひっかかった。
 結構長い付き合いであるため、(自分が零崎には言った頃からずっと。つまり自分が生まれてから今まで)彼と共に行動してきたから、彼の特性や性格や性質は大体把握しているつもりだ。
 人から干渉されるのを避け、(例えそれが家族であっても)考えていることを言い当てられたり、愛情を与えられたりすると酷く狼狽して逃走する。
 そんなアスが家族でもない人間を自分の住む領域に入り浸らせているなど想像できなかった。
 エレベーターが故障しているらしく、暑さに飽き飽きしながら階段を上る。
 やっと目当ての階層に着き、手で申し訳ない程度に顔を仰いで、全然風が来ないことにまた疲れた。アスの家の扉の前に立つ。チャイムを押す。
 インターホンから声は無く、10秒ほど待つと、がちゃりと音を立てて扉が開いた。
 希望していた人物とは程遠い、白い男が立っていた。
 
 印象としては女のようだと思った。オレンジの透き通ったサングラスを掛けていて、少しウェーブのかかった髪には白髪が混じっている。
 唇はにんまりと三日月形のように歪んでいて、目は物腰の柔らかそうに自分を見上げている。
 真っ白いスーツで、男か女か見分ける判断は顎に生えていた髭で判断するほど、肌が白い上に女顔だった。

 「どちら様ですか?」
 声もまた異常に高い。おそらく髭が無かったら、自分はこの男を女と判断しただろう。少しだけショックを受ける。
 「ああ、あの、私はここに住んでいる者の親族なんですけれど・・・」
 「お名前は?」
 にこりと男が笑った。
 見るに殺し名の人間には見えなかった。どちらかというと呪い名だろう。奇野とかそこいらっぽい。
 「双識と言います」
 苗字は割愛する。アスがこっちでどう名乗っているか知らないのだ。結婚していると言っても嘘臭いだろうと思う。
 本当は偽名やらなんやら使うべきなのだろうかも知れないが、生憎零崎以外の名を名乗るつもりは毛頭無い。
 男はにこにこと笑ったまま、会釈をしてきた。
 「俺は兎吊木垓輔と言います。式岸軋騎さんの同僚です」
 兎吊木はゆっくりと頭を上げた。まるで顔の一部のような笑顔は顔に張り付いたまま、静かに家の中に自分を招く。
 「話はよく聞いています。式岸のお兄さん。はじめまして」
 ちらり口の隙間から赤い舌が覗いた。例えるなら蛇だな。そう思いつつ、目を離さないように注意してゆっくりと中に入った。
 扉が重い音を立てて閉じた。





 「軋騎、はどちらに?」
 先刻兎吊木が洩らした式岸軋騎と言う名前が軋識であろうと思いつつ、問いかける。
 まるで己の家のように兎吊木は食器棚からマグカップを二つ用意してコーヒーを淹れた。勝手知ったる他人の家かと心の中で毒吐きながら、ソファに腰掛ける。
 前に来た時とまったくもって何も変わっていなかった。余計なものがまったくと言って良いほど無い。ソファとテーブルとテレビだけだ。
 ただ広いだけで、愕然とするぐらい見渡しが良い。
 「仕事場の方です。上司に捕まっちゃいましてね。個人で黙々と頼まれているのをこなしている最中でしょう。有能な人材ですから、後一時間もすれば来るんじゃないでしょうか?」
 「貴方は、軋騎のご友人ですか」
 「友人、と言えるほど仲が良いわけでは無いでしょうね。俺の知っている限りだと式岸と仲が良い人間は知りません」
 少しだけ安心して、少しだけ残念だった。一人で生活しているもんだから、中が良い人の一人や二人居るのだろうと高を括っていたのだが、大はずれのようだ。
 コーヒーを持ってきてくれた兎吊木に頭を下げて、両手で受け取る。
 「人間、って・・・・・随分と上から見るような言い方をするんですね。まるで軋騎みた」
 「鬼はよくそう呼ぶでしょう」
 くすくすと笑いながら口を開くと、兎吊木が遮って言った。
 反射的に上を向くと、にこにこしながらコーヒーを口に運んでいた。
 「・・・・・・・・貴方は」
 「残念ですが生物学者というオチではないですよ双識さん。ちなみにと鬼と言ったからといって妖怪博士とかそんなでもありません」
 「・・・違いますよ兎吊木さん。一応ですけれど・・・・・・・私が聞こうとしたのは、『貴方は私達の家族では無い』んですね?」
 「・・・・・・・・・・生憎、人間の道を踏み外した覚えは無い」
 「それはありがたいですね」
 ゆっくりと胸ポケットから自殺志願を取り出して膝の上に乗せ、右手を自殺志願のハンドルに乗せる。
 一言でも危ない台詞を口走ったら即刻テーブル越えて首を刎ねるつもりだ。
 「どうぞお話続けましょうか。ここからは言葉を選んでください兎吊木さん」
 「キャラが変わるね」
 「そちらこそ。張り付いた能面は表情と呼べませんよ」
 引き攣った笑顔の兎吊木垓輔を見下ろす。
 彼が私の前情報があったとしても、こっちにもアスから聞いていた前情報があったのだ。
 「失敗したね」
 「生憎自分の好みでエレベーターぶっ壊すぐらいのキチガイを相手にするのに丸腰は頂けないのでね」
 ゆっくりと男はソファに身を沈めた。
 あと40分。時間はまだまだ長い。
 あと、真夏にエレベーターぶっ壊すなんてどういう了見しているんだと怒りたかったのだが、コーヒーを飲むことで声は飲み込んだ。
2006/8・27


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