■受難の落日 
 「レン、俺が前に二つ、言ったこと覚えてるっちゃか?」
 「え?何が?」
 「兎吊木を俺のマンションに呼ぶな」
 「良いじゃないか別に。会ったの久しぶりだったし」
 「あと一つは?」
 「・・・・・・・・・・あと一つ?」
 「酒を飲むのは節度を守れっつったっちゃ!!」
 「え?」
 頬を紅潮させている双識の周りには酒瓶とビール等の空き缶がごろごろと放って置いてあった。
 軋識の自宅の、リビングの中心で。



 「まぁまぁ気にするなよ街。酒を飲んだとしても頭が痛くなるのは本人なんだから」
 「酒くさっ!」
 にこにこと笑う兎吊木に後ろから抱きつかれて軋識はとっさに振り払い、鼻をつまんで兎吊木を睨んだ。
 兎吊木はいつもの白スーツにオレンジのサングラスという格好なのだが、ただ一つ、おかしい点がある。
 その顔はいつものにやにやとしたいやらしい笑顔ではなく、純粋な笑顔で満たされていて、声もどこか優しげな声というか猫撫で声で。
 その豹変振りに殺人鬼・愚神礼賛も鳥肌が立った。
 はっとして床に座ってでれでれとつまみを口に運ぶ幸せそうな双識につかみかかる。
 「キモイ!臭い!いつもの歯止め役の人識と舞織はどうしたっちゃ!?」
 「舞織ちゃんたちはもう寝たよ」
 付き合ってられないと顔を背ける少年と少女が目に浮かぶ。軋識は溜息を吐いて窓を開けた。
 「何で男どうしで酒飲んでるっちゃ?寂しいと思え、居酒屋に行け、ここで酒盛りすんな!兎吊木もさっさと帰れ!非常識な奴だっちゃね!」
 「姑みたいだよう軋騎」
 「うるせぇ名前呼ぶな」
 ほわほわと花を飛ばしそうな笑顔で兎吊木が軋識にしなだれかかってくる。
 むわりと香ってくる酒の匂いに軋識は顔を顰めた。
 「軋騎も一緒に飲もう?」
 「阿呆か!俺は寝る!」
 手を払いのけると頭の横に手を付かれて顔を近づけてきた。
 「あー涼しいなぁ」
 先程帰ってきたばかりの軋識の体は外気に触れて冷たい。軋識の体をぎゅうと抱きしめて兎吊木が嬉々とした声を上げた。
 ぞわりと背筋を嫌な気配が走りぬける。
 「放せ!キモイしウザい!それに臭い!」
 「アスも一緒に飲もうよー」
 じたばたと暴れる軋識を放って双識までもが軋識の足に擦り寄ってきた。
 ついに軋識も蒼褪めて身を引く。
 「分かった!分かったっちゃ!一緒に飲むから放せ!お願いします!お前ら恐すぎる!!」
 冷や汗を垂らして抱きついてくる男二人を引き剥がそうと躍起になると、下から勢い良く双識に引っ張られ兎吊木共々フローリングに倒れこんだ。
 「うふふ」
 ゆったりと身を起こし、とろんと酒におぼれた目を向けた双識をみて、軋識は終わった・・・と心の中で呟いた。
 抵抗は無意味。もう、ここに誰かが(助けれる人間に限り)来るしか俺に逃げることはできない・・・。
 
 「何盛ってんだよ」
 
 軋識の耳には神の言葉に聞こえた。
 リビングの入り口によっかかりこっちを見下ろす人識が呆れた顔で見下ろしていた。
 「人識!頼む!助けてくれ!」
 「・・・・・・・どうすっかな」
 「てめぇ・・・!!」
 キスをねだってくる兎吊木がとても煩い。完全に酔っている。
 「てめぇ?へーふーんそう。酒盛り楽しそうでよかったな大将。じゃ、俺寝るわ」
 「すみません!本当に悪かった!出来る限りの見返りはするっちゃ!」
 背を向けたまま頭をこちらに向けてにやにやと人識が笑った。
 「ん、んーどうしょっかなー。そういや新作のプディングが」
 「買うから!贈呈するっちゃ!」
 「てめぇっつったよな」
 「・・・・・・・」
 一分前の己を軋識は呪った。
 人識がこちらに歩み寄ってしゃがみこんで軋識と目を合わせた。
 「明日俺と二人っきりで買いに行ってくれる?」
 「・・・・・」
 「おやすみ」
 「わかった!わかったっちゃ!!」
 フローリングに押し倒されてぎりぎりと押さえ込まれながら軋識は涙目になって叫んぶ。
 ああ、明後日までに二重世界に頼まれていたものがあったのに。
 「おお良い子良い子」
 人識の手が軋識の頭を撫でて、軽く頬にキスをされ、背中から重みが消えた。
 「って・・・」
 軋識が体を起こすと自分の二倍はあろう双識と兎吊木をソファに寝かせていた。
 暴れたせいで空き缶が部屋のあちこちに散らばってしまっている。
 「人識、」
 「これの掃除手伝わせるんだったら明日一日中付き合ってもらうぜ」
 溜息を吐き、遠慮すると軋識は呟いて、近くにあった空き缶を手に取った。

2006/3・22


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