■ 夢の終わりでまた会おう

 「家族ってなんだろうな」
 椅子にその身を預けて、目を閉じたまま、まるで一見眠っているかのようなそんな状態の真心は、唐突に唇を動かした。
 「家族?そんなものに興味が?」
 その言葉に特に何も感慨の無いように、時刻は平然と問い直す。部屋の壁一面を覆っているのはかちかちと一糸乱れることなく音を立て続ける振り子時計で満たされている。常人であれば発狂するであろうその規則正しい針の音の中、少女と青年は平然と会話を交わしていた。
 「お前はどうなんだ?家族、いるんだろ?」
 「昔はいたけれど、今はいないね。捨てられたから」
 青年は平然と返す。首から下げられた懐中時計のみがかちかちかちかち、と病的に針を動かし続けている。
 「捨てられた?なんでだ?」
 「君なら分かるだろう。人類最終」
 男の言葉は平然としているが、どこか温かな柔らかさを含んでいた。少女に対して慈愛の念でも抱いているのか、その態度はどこか何者をかを崇拝する人間に酷似している。
 「分かる?」
 「異常だからだよ」
 時刻は時計の秒針に混ざって規則正しくさらりと答えた。真心は力が入らないのか、目を見開くのも億劫なのか、柔らかい椅子の中に体を沈めたまま、「異常?」と不思議そうに問い直す。
 「お前程度が?」
 「辛辣だね」
 無理もないか、と時刻は笑う。己程度の異常など、彼女にとっては通常と変わりないのだ。
 しかし、と時刻は回想する。
 生まれたときの名前を剥奪されたときのことを。他人となった親のことを。一族から追い出した、かつての仲間達のことを。
 そこにあったのは、恐怖だった。畏怖だった。嫌悪だった。
 他の術者と微かにずれているだけで、己の子すらを捨てる人間を、時刻は親などと思っていない。それこそ、異常なのだろう。
 「他人との差は、優劣関係なくその場の空気を乱すものだそうだよ。僕が優れていたのか劣っていたのかなんてのは分からないけれど、普通じゃなかったんだね」
 「俺様も普通じゃないと?」
 「普通だと思っているのかい?」
 その問いは、惨酷な質問だった。会話が途切れ、室内に響く音は完全な秒針の音と化す。
 かち、かち、かち、と音が過ぎていくにつれ、段々室内の気温が張り詰め冷えていく気さえしていく。時刻はその中でも平然としており、未だ眠りについているままの真心をじっと見つめた。
 「世界がくだらない、つまらないものなんだろう?」
 それは確認だった。彼女にとって、世の中は簡単すぎる。つまらなく、簡単で、脆弱で、無問題だった。鼻歌交じりで人生は過ぎる。苦痛など一切ない世界。
 『簡単すぎる』それこそが、苦痛となりえる、人類最終にとっての世界。
 「それは異常だよ」
 時刻は断言するように言った。真心は瞼を開かない。
 「世界は苦しい。世界は悲しい。世界は生き辛い。世界は絶望と共にある。苦しいからこそ楽しみもあったとしても、君のように簡単だとはならないんだよ。君は異常だ。異常だと排他された僕にとっても、君は異常なんだよ。異常な中の異常なんだ」
 「そんなの分かってる。分かりきってるよ時宮時刻」
 吐き出すように、真心は言う。
 「分かってる」
 「・・・・君に家族は?」
 「いない」
 もはや答えは予想できるであろう質問に、真心はあっさりと答える。傍から見れば寝言を言っているようだが、事実、これは寝言だった。真心が本当に意識を持てていたら、時刻はこの場で死んでいると見ていいだろう。
 そんな、寝言なのに意識がちゃんとできているという神業をやってのける真心のそんな姿など当たり前だとでも言うかのように、時刻もまた平然と取って返した。
 「君は家族が欲しいのかい」
 「欲しい」
 真心は言う。
 「幸せになれる、家族が欲しい」
 「・・・作れることを祈っているよ」
 「嘘だな」
 時刻の言葉をすっと否定して、真心は眠っているまま、笑った。
 「お前は俺様が幸せになることを望んでいない」
 「まさか」
 「俺様の幸せを望んでくれる奴が、俺様が世界を終わらそうとするのを止めないわけが、ないんだ」
 真心のその言葉は、ここにはいない誰かのことを思い出しているようだった。まるで思いを馳せる少女の言葉に、時刻は困ったように笑う。
 「僕は君を止めないだけだ。君の好きなように生きればいいさ」
 「・・・・・・・・・」
 真心は沈黙し、時刻はそれ以上追及しない。
 事実、真心が世界を終わらそうなんて思わなければ、西東天や時刻の望みも無いに等しい。彼女が本気を出せば、3人がかりでも彼女を止めることなどできないだろう。
 だが、彼女は幸せを望むと同時に、幸せになれない己を悲しみ、幸せにのうのうと生きている人間を妬んでいる。
 その思いを理解しているからこそ、時宮時刻はそれを利用する。
 「お前は、最低だ」
 囁かれたその言葉に、「どうとでも」などと笑いながら答え、時刻はそっと真心の顎を持ち上げ、己の顔と見合わせる。
 「君が僕を憎ように、この世界を憎んでくれたら、僕はそれだけで幸せだからね」
 真心が微かに目を開けば、その向こうで優しく微笑む時刻の双眸と視線が絡む。不思議な色をした目玉に映る感情が、哀れみと崇拝の念であるという事実に、真心は顔を顰めて、遠くなる意識の中、唯一の縋る対象である、愛しい友人の名前を呼んだ。
2008/03・13


TOP