晴天の向こう 貴方が愛した私はどこへ?
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目の前で揺らめく金色を眺めて、私はぼんやりと思いに耽った。風を孕んでゆっくりと靡く。ブロンドの髪。象牙の肌。しなやかに蠢く指先。たまに横を向く整った顔。すっと通った鼻。空を映した青い目玉。赤い唇。そっと薄紅色に染まった頬。滑らかな顎。白い首。翻る白いワンピース。悪戯に踊る裾。それを抑える腕。突き出た足。優しい踝。赤い踵。赤くペディキュアの塗られた爪。鍵盤。
美しい彼女。代わり映えのない世界。愛しい彼女。美しい世界。優しい彼女。柔らかな世界。
「何か気に食わない?」
六月は唐突に振り返って、柔らかく微笑みながら言った。アスファルトを叩くミュールが、かつん、といい音を立てた。僅かなステップ。私に届かない。
「なんで?」
「こわい顔をしてる。何か嫌なの?」
小さく傾げられた首に続いて、柔らかく波打ったブロンドが、わらった。私はぼんやりと、小さく弧を描いた六月の唇を眺めた。愛らしい仕草。吸い込まれるような蒼色。彼女は嘆かない。悲しまない。寂しいといわない。彼女は。彼女は。彼女は。
「なにも」
「なぜ?」
不覚にも、私は言葉を無くした。目の前でゆっくりと歩み寄ってくる六月が、私のすぐ手前で止まった。しなやかな腕が伸ばされて、小さな手が私の頬に触れた。五つの指が、私の頬を撫でる。
それはひやりと冷たかった。
「どうして嫌じゃないの?」
「どうして、嫌じゃない?それはどういう意味?私が何かに対して不満を持っていると?それは、ないよ」
「なぜ?」
六月は笑った。
「なんでこんな世界、嫌いじゃないの?」
それをお前が言うか?
私はげらげらと笑い出してしまいそうになるのを堪え、ぎりぎり口元を歪めるだけで済ませた。網膜の向こう、柔らかな風景に包まれて、六月の眉間が寄せられている。それでも口元は緩やかに微笑んでいた。そのせいで、何故か困っているように見える。私は耐え切れず、噴出した。
「何か楽しい?」
「楽しい?」
私は問いかける。六月は困った顔のまま、首を横に振った。私は彼女の手を離させて、ゆっくりと教えた。「楽しくない時は、笑わなくていいんだよ」彼女は途端に泣き出しそうな顔になった。私は再び笑った。
「末榎は、私をいじめて楽しいの?」
「いいや、別に。君が悲しむと、私は悲しいだけだよ」
私の答えにもっと泣きそうな顔をして、六月は風で有象無象に広がるブロンドの髪を手でゆっくりと押さえた。ほら、何事もとめないと、いつかどこかへ飛んでいってしまうよ。私は彼女の頭を撫でて、先へ促した。
六月がくるりと反転して、先ほどまで歩いていた道をのろのろと歩き出す。私もその後を追った。
「どうして泣きそうな顔をするんだ?」
「悲しいから」
「お前に悲しいなんて感情、あったっけ?」
私はやけに笑えてきて、彼女の背中を一笑した。彼女はくるりと振り向いて、私の目をまっすぐ見つめて、言った。
「末榎が死んだら、悲しい」
「私は今死んでない」
「それもそうだね」
六月はそう言うと、すぐに泣きそうな顔をやめた。先ほどのとにかく優しげな笑みを浮かべて、再び歩き出した。かつん、かつん、小春日和。六月のミュール。
「末榎、どこにもいかないでね」
「どこかにはいくさ」
「末榎、死なないでね」
「いつかは死ぬよ」
「末榎、私とずっと友達でいてね」
「できればね」
六月はぴたりと歩みを止めて、上半身だけ捻って横を向いた。ブロンドの髪が翻る先、六月の青い目が地平線を臨んでいた。その蒼の向こうにあるのは、きっと楽園だろう。私は「六月」と彼女を呼んだ。今呼ばなければ、私は彼女に殺されてしまいそうだったからだ。
「末榎、どうしてそんなに私に酷いの?」
「私が酷いんじゃない。六月が酷いんだろ」
私の台詞に目を見開いて、今度こそ彼女は私と再び向き合った。蒼色が私を映していた。その色に意義はなく、その目の奥に感情と希望はなかった。「どうして私が酷いの?」彼女が首を傾げた。
「どうして私を友達にしたの?」
「末榎が私の運命の人だからだよ」
六月は純粋に、幸せそうに呟いた。私は酷く悲しくなって、首を振った。「私はあんたの友達になんてなりたくなかった」と嘆く。
「私があんたと友達になんてならなければ、私は不幸じゃなかった。一人じゃなかった。家族もいて友達もあんた一人じゃなくて、誰かに叱られたり嫌われたりもするはずだった。だから私はあんたに会いたくなんてなかった。会わなければよかった」
「でも、もう会ったじゃない。私は、末榎が家族を手に入れて友達も手に入れて、誰かに迫害されたり怒られたり嫌われたりするより先に、世界から末榎を見つけたよ。だから、もう遅いの。遅いんだよ」
六月は笑っていた。既に悲しみや苦しみ、さっきの困った顔もしていない。
「末榎が私以外の家族を手に入れるのも、私以外の友達を手に入れるのも、誰かに怪我をさせられるのも、嫌われて末榎が傷つくのも、全部許せないの。ねぇ、だって末榎は私の大事な大事な友達じゃない。傷つけたくないの。わかるでしょ?」
六月。優しい六月。世界に愛された六月。愛を裂く六月。愛崎六月。
私の友人。私の妹。私の迫害者。私の地獄。私の神。
「これ以上私から何をとるの?」
「貴方の全てを。私が末榎の世界になれれば、それ以上素敵なことはないと思わない?」
六月は笑う。六月は雨。世界に潤いを満ちさせ、紫陽花で血を啜り、私を家に篭らせて、けして外に連れ出してはくれない6月。
遠くで陽炎が揺らめいていた。いかないでくれ。あめの匂いが、ゆっくりと近づいてくる。さようなら、私の5月。死にやがれ、私の6月。