NOVEL


うずもれた薄紅消えた純白けして行けない地面の中へ

ひらひらと舞い落ちる桜の花弁は例えるならば紙吹雪に似ていた。むしろ、桜がない所で桜のような演出をしようとして紙吹雪ができたのだと思うから、それはまったくもっておかしい思考回路だったが。(でもまぁ、実際の所は良く知らない。
「さくら」
六月が寂しげに言った。
「もう散っちゃうのね」
花見もしてないのに。嘆くような言葉は、風で飛んできた薄い桃色の花弁が、丁度良く六月の口に飛んでいったせいで、音になることなく、六月の小さな口の中に飲み込まれた。
「花見、したかったの?」
「だって、楽しそうじゃない」
軍学校に通う私たちにとって、花見なんてのはテレビ画面越しに見るものだった。花見をしている人は桜を見ているけれど、私たちはその花を見て愉しんでいる人達を鑑賞する。
「でも、実際楽しいかどうかなんて、わかんねぇよ」
「そうかもしれないけれど」
六月はそれでも、名残惜しそうだった。自分の肩に張り付いてきた花弁を払って、私は「それじゃあ、今からでもやる?」と聞いた。どうせ2人だけの花見なんて、つまらないに決まっている。他に友達を呼んできてもいいが、私が花見に対してあまり感心が無いように、きっと友人達も淡白だろう。花見とは私たちのような人間じゃなくて、もっと世界に関わりが無い人がやるべきなのだ。
「末榎はやりたくないんでしょう?」
六月は口をもごもごさせながら言った。私は素直に、声は出さずに頷いた。そういうのが、好きじゃないのだ。「じゃあ、ねぇ、穴を掘らない?」 六月は突然言い出した。何のことだと私が「はい?」と声を上げれば、縁起でもなく、「桜の下には死体があるって、よく聞くでしょ?」と言う。そんなの聞いたことない。
「本当にあるの?」
「さぁ。都市伝説みたいなものだって、話をしてくれた人は言ってた」
本当にあったらどうするのだ。私はなるだけ嫌そうな顔をして、肩を落とした。そういう、不気味なことは嫌いだ。幽霊なんて想像したくもない。 六月はそんな私のことなんか露知らず、「ねぇ、穴を掘ってくれるだけでいいの」と頼み出した。本気で穴を掘るつもりなのか、この女。 私は見上げてくる、六月の真っ青な目を正面から見据えて、溜息混じりに答えた。
あまり気乗りはしなかったけれど、六月は酷く喜んだ。
穴を掘って、何が楽しいのだろうか。
学校の倉庫からスコップを拝借して、街道裏にある、田舎道に聳え立つ、適当な木を選んだ。まだ、花が散り終わっていないけれど、薄紅色の間から、眩しい深緑が生えていた。異質で、おかしいと思った。
どす、と鈍い音を立てて、私の持ったスコップが地面を抉った。人の体を突き刺す感触より鈍いのは、地面が硬いからなのか、それともスコップが重いせいなのか。湿った黒い土は、スコップの上に掬われて、雑草と共に少し遠い所に投げ捨てた。どしゃっと音がして、私がスコップをつきたてる音が、すぐに追いかける。どす。六月も私の向かい側から、華奢な手で持ったスコップを地面に突き立てた。力が足りないせいか、スコップの先端部分だけを突き入れて、少し陥没した。どうやら穴を掘るのは殆ど私の仕事になりそうだと、静かに私は理解した。
「どれぐらい掘ろうか」
「人が埋められるぐらいなら、1メートルぐらいじゃないかな」
なんともアバウトな数字である。しかし、1メートルと簡単にいいやがったが、それなりに深い数字だ。センチメートルに直せば100センチメートルもある。彼女はさりげなく鬼だと思った。
桜の下に、鬼。そして、その前には奴隷のようにこき使われる人間。そして、もしかしたらその地面の底には腐乱した死体が埋められている。
シュールすぎる。私は溜息をつきながら、黙々と作業に没頭した。湿った土の匂いが鼻につく。手に持ったスコップを握り締めている掌が、汗でじっとりと湿ってくる。桜。
「ふふふ」
「なにさ」
六月が突然笑い出した。笑ってないで仕事しろ。
・・・いや、別にこれは仕事じゃないか。恨みがましく睨み上げると、にこにこしたまま六月が言った。「まるで逆だわ」それは私とお前の立場だ。
「まるで、今から死体を埋めるみたい」
「へぇ?でも、死体がないけどね」
「じゃあ、私を埋める?」
私の言葉に、六月は笑いながら答えた。気分が悪い。噎せ返る土の匂い。 土の中で、無数の小さな生き物が生きては死ぬを繰り返している。その、全てが滲みこんだ、そう、腐敗した土の匂いだ。
「入れられたいの?」
「末榎が入れてくれるなら」
楽しそうに六月は言った。私は全然楽しくない。腕が強張って、汗が落ちる。肩が強張って、手首が軋んだ。
「土の中は、きっと寂しいよ」
「じゃあ、会いに来てよ」
「土の中まで?モグラじゃあるまいし」
「じゃあ、もう一度掘り返してよ」
六月が笑う。お前も掘れ!
どす、ざく。どしゃ。どす。ざっ。土の匂い。腐った雨の匂い。ミミズ。人間。
白骨死体。
「・・・・・・・・」
「先客がいたのね」
六月はそれでも冷静だった。むしろ、笑ってすらいた。桜の下には、ちゃんと人間が居た。 死体だけれど。白骨死体だった。肉がまったくと言っていいほどついていない。
「本当に、分解されるの」
六月は感心深げに、スカートを丁寧に折りながらしゃがみ込んだ。なんでそんなに余裕なんだよ。
「お前、まさか、無かったらつまらないだろうって、入れたんじゃねぇだろうな」
「ううん。それなら、白骨してないと思う」
私の思ったことをさらりと否定して、六月は無言のまま手を合わせた。私も慌てて合掌する。起こしてごめんなさい。許してもらえるだろうか。
ぼろぼろの服から察するに、どうやら女の人らしい。私と六月はしばらくそこでじっとして、どうしようか?と目配せした。
そのとき、背後から足音が近づいてきた。坂道になっているせいで、まだ姿は見えない。雨のように降りしきる花弁の向こう、男の人だ。どうする? 桜の下で、穴を掘って、その下には白骨死体。私たちのじゃないですから!とりあえず、言い訳だな。私は思った。 やってきたのは、やはり男の人だった。手に花束を持っている。白い、百合だった。
「あっ・・・!」
男は私たちを見て目を見開いて動きを止めて、掘り返された土の山と穴を見て口を開けて固まっていた。
「あんたたち・・・」
私たちの着ている服を見て、軍部の人間だと分かったのだろう。彼は懐からサバイバルナイフを抜いて、構えたところで動きを止めた。
「そこにあるのを、見たのか?」
「死体のことなら、見ました」
六月は笑っている。彼は私たちが女だということに、殺せるかどうか逡巡したけれど、私が見せ付けるように後ろ腰のベルトに入れていたマインゴーシュの柄を掴んで見せれば、怯んでナイフの切っ先を揺らめかせた。六月は戦闘兵じゃない。もしもこの男が襲い掛かってきたとしたら、迎え撃つのは私の仕事だ。この男が軍に所属する人間だったら面倒だが、ここで説得に入ってこないことや、私が武器に手をやっただけでうろたえる所から見るに、恐らく軍人じゃない。 男が私が駄目なら六月に襲い掛かりませんように、と願いながら、六月の盾になる位置へ移動する。私が緊張しているにもかかわらず、のんびりとした口調で聞いた。
「この死体は、貴方が殺したものですか?」
核心に踏み入れるにも、もう少し手順ってもんがあるだろう!私の心の叫びなどなんのその、六月は優しく問いかける
。「別に連行したりはしません」
当たり前だが、嘘だ。
男はナイフを降ろさないまま、私がどれだけ強いのか考えているようだった。けして隙をみせないまま、「そうだ」と肯定する。
「どうして殺したのですか?」
「そいつが浮気したんだ」
それは殺したくなるかもしれない。この間習った犯罪者の殺人の思考というのに、痴情の縺れというのがあった。あれか。私は男がナイフを降ろそうとしないので、右手でマインゴーシュを抜いて、逆手に持って構えた。左手で補助用のソードブレイカーの柄を握り締め、相手の動きに対応するように足を引く。 私の動きに男はたじろいで、ちょっとだけ下がった。少しは武術の心得があるらしい。
「どうして桜の下に埋めたの?」
「意味は無い」
男は答えた。六月は残念そうに、「綺麗だからじゃないの?」と呟いた。
どうだっていいだろうに。 私の背後で、六月は堂々と携帯電話を取り出し、学校へ連絡を始めた。先ほどの嘘に対して何も言うことは無いらしい。男はぎょっと目を見開いて、百合の花束を投げた。そしてそのまま、両手で分厚いサバイバルナイフを持って突進してきた。
私はまだ百合の花束に視線を向けていた。この花は、やはりこの彼女のために買ってきたものなのだろうか。殺してしまったのに、花を持ってくるなんて。私にはよく分からなかった。 百合の花束から目を離し、男のナイフへ目を向ける。
刀身が短いのに、突進なんてのは、ぶっちゃけ無謀だ。突進、いわゆる突きというのは三角錐剣だとか、レイピアだとか、それなりに向いている剣でなければ。それと、それなりに刃部分が長くなければならない。 しかしそのまま斬りつけてくるよりはマシだろう。私が一番苦手だったのが刺突なので、これは私の運が悪い。斬りつけてくる場合、ある程度の軌道は読めるので、まだそっちの方がよかった。私はマインゴーシュを一度引いて、左手で抜いたソードブレイカーを相手のナイフに差し入れた。 ソードブレイカーの片面にある凹凸部分に相手のナイフを挟み込み、梃子の原理を利用して体重を乗せて下に踏み降ろす。
べきん、と面白いくらいに叩き折れたナイフの刀身部分が、重力に習って地面に墜落する。突然軽くなったであろうナイフに、そしてナイフが折られたという事実に呆然とする男の腹部に、蹴り上げた膝をたたきいれる。くの字に体を折って一瞬空中に浮き上がった男の背中を、一旦引いていたマインゴーシュの柄で強打する。ごぶっ、と空気の中途半端に抜けたげっぷのような声を上げて、男がそのまま地面に転がり落ちた。
「二年四組の愛崎六月です。A地区の街道裏の田舎道にある桜並木で殺人犯を発見。只今捕獲しました」
捕まえたのは私だけれども。 私はそんなことを思いながら、地面に崩れ落ちた男の背中を、鞄の中に入れていたゴムで両手両足を拘束した。六月は連絡を終えると、遠くに落ちた百合の花束を拾って戻ってきた。それを、私の隣を通り過ぎて、先ほどまで掘っていた穴の中へと入れた。私の視界から、やけに鮮やかな白が吸い込まれて消えた。
「花が好きだったのかしら」
「基本的に、こういうときに供えるのは花だからじゃない?」
私のそっけない言葉に、そういうものかしら、と六月はやけに笑いながら言った。楽しそうだ。 もしかしたら、この死体のように、花に囲まれて死にたいのだろうか。
「そう・・・そうね、でも、私は末榎に殺されるなら、何も文句は無いな」
滅茶苦茶な殺し文句だな、と思った。私は縁起でもない六月の台詞に、それでも何故か嫌な気はせず、黙って刃をベルトにつけた鞘に収めた。いつの間にか、死体が入っている穴には、洪水のように薄紅色の花弁が降り積もっていた。
やはり、埋めるものは、こんな臭い土より、花のほうが心地良さそうだと思った。 どうせ、戦場で生きて、戦場で死ぬ私には、土の中で死ぬなんてこと、きっと無いだろうけれど。

■赤い荒野
ひらひらひらひら 
とめどなくついらくする 
はなびら
それは、死にゆくどこかの戦場の兵隊であり
色づいていく地面は、
一瞬、その少年のまばたきと共に、世界の裏側と、リンクする
この色を、死体とともに見るのが、あっち
この色を、死んだような眼をした大人や子供と共に見るのが、そっち
この色を、肴にしてお酒をのむのが、こっち
散っていくのを黙って観て、息苦しさに、

黙祷 。


■病床の会話
「あの木の葉が全て散ったら、僕はもう・・・っていう台詞よくあるよね」
「今はもう言われないけど・・・そうね。懐かしい」
「でも、桜の花が全部散ったら、僕はもう・・・とかっていうのでもいいと思わない?」
「散るのが早いからじゃない?」
「ああ、なるほど」
「でも、桜の方が羨ましいね」
「なんで」
「だって、あの辟易する夏の暑さに会わなくていいんだから」