NOVEL


Love . Love . Love

「末榎」
朝の喧騒など何も無かったかのような平々凡々とした昼休み時、ようやく園山康永が登校してきた。仲の良い男子とひとしきり盛り上がり、噂好きの女子に質問攻めを受け、その人垣を適当に抜け出しながら、康永が末榎の元にやってくる。末榎は丁度購買で買ったとろろ蕎麦を食べ終わったところで、一緒に買った麦茶を啜っていた。
「お、よお、もう平気なの?」
「まぁ。兵隊やるってのに、そんな精神的に弱かったらやってらんねぇよ」
そう言って快活に笑ってみせる園山康永の両目の下にはくっきりと隈が浮かんでいる。ははは、と笑いあい、末榎は紙パックの中身を飲み干した。
「六月、ちょっと行ってくる」
「うん」
紙パックをゴミ箱に押し込み、末榎は先に出ていった園山の後を追った。その背を目で追いかけながら、六月は一度悲しそうな顔をしたが、すぐに視線を本の表面に移した。




「で、どういうわけ?」
「そう怒るなよ」
「別に怒ってねーよ」
「じゃあ、顔が怖い」
「うっせ」
そんな軽口を叩きながら、二人は人気のない場所を探して自然と屋上へと向かった。
その日は酷い曇天模様で、予想したとおり人気はまったく無かった。そろそろ暖かくなってもよい季節なのだが、まだまだ風は冷たい。カーディガンを着てくるべきだった、と末榎は思った。
「お前、もしかしたら死ぬかもしれねぇ」
「ふーん。・・・・はぁ?」
唐突すぎる言葉に危うく適当に相槌を打ちかけたが、末榎は顔を顰めてそれを止めた。お前一体何言ってんの?と言おうと思ったが、園山の表情は蒼褪めていて、心の底から末榎のことを心配しているようなのだ。これはただ事ではないと思って、末榎はその考えを一蹴することをやめた。んなわけねぇだろ!などとかっこよく嘲笑ってこの場を立ち去る奴は大抵死ぬのだ。死亡フラグ、という奴。「帰ってたら結婚」と言う死ぬ前振りレベルである。
「・・・あー、山辺景而だっけ? 先生達も本腰あげて探し始めてるし、大丈夫じゃない?」
「そっちはどうせ捕まるだろうよ。俺が言ってるのは・・・違う奴だ」
「へぇ? あ、なんだっけ。山辺景而に仲間が居るんだっけ?」
「仲間じゃない」
康永はそう言って、きょろきょろと周りを見回した。何かに怯えているとしか見えない。しかし屋上で何に恐怖するというのだろうか。ちなみに谷津河軍育成教育学校の屋上は5階に相当する。高等学校なのだが、軍の指導や演習場など様々な設備が入っているので、大きさは大学に近いのだ。
「真緋路って知ってるか」
名前をいうことさえ恐ろしい、とでも言う風に、康永はずいっと体を末榎に近づけて言った。
「まひろ?知らない。女の人?」
「職員室の前の掲示板に張り出されてる、金髪の女とコンビ組んでる、S級の犯罪者だ。十代後半の子供だよ。ちなみに男な」
「・・・・・・・思い出した」
丁度数日前に見たばっかりだ。六月と一緒に、始業式の日に見たはずである。
「そいつが俺に、お前に電話をかけろと命令した」
「・・・・・知らねぇ・・・」
げんなりして呟く末榎を訝しげに見ながら、園山はそうなのか?と不思議そうに呟く。
「何か、昔知り合いだったとかじゃないのか」
「知らないよ。あれだろ?金髪の白人の奴でしょ?目が赤いさぁ。知らない。絶対に知らない。関係とかないと思うけど」
「・・・ともかく、そう言われたんだ。このことは教師に言うなって言われたから、前事情聴取受けたとき、嘘を喋っちまった。厳罰ものだから、頼むからチクるなよ」
「へいへい」
まぁ、これを言ったら連体責任で私も厳罰ものだ。喋るわけがない。心の中でそう呟きながら、厄介なことに巻き込まれた、と末榎は思った。S級の犯罪者と知り合いなんて、それだけで投獄ものだというのに。
「じゃあ、山辺景而は?居たんだろ?あそこにあった死体、目潰されてたし」
「ああ。確かにいた。捕まえようと少し闘ったんだ。でも、途中で・・・気絶させられて、起きた時、真緋路と、あの馬鹿みたいにでけぇ女も山辺景而と一緒にいた」
「なのに仲間じゃないってどういうことさ?」
「山辺景而は精神を病んでる」
忌々しげに、園山は呟く。精神を病んでる?と末榎は重複した。現在の法律では精神を病んでいる殺人犯の刑が軽くなるようになっている。山辺景而は大量殺人犯なのだが、それでは山辺景而はただ病院行きで、これといった罰を受けないことになるのだ。
「なんでそう言える?」
「明らかに言動がおかしかった。言葉が通じない、って言うべきか・・・山辺景而は、多分、人間恐怖症みたいなのを患ってると、思う。結構やりあったんだが、あいつ、一回も俺の目を見なかったし、俺が何を言っても、ひたすら「不肖を見るな」ってぶつぶつ呟くだけなんだよ」
「ふぅん・・・」
「このことはもう先生には言ってる。だから、そろそろ山辺景而が捕まるのは予想済みだ。でも、あのS級がいるから、どうなるかわかんないけどな・・・」
「真緋路と山辺景而の関係って?」
「さぁ・・・よく分からん。でも、山辺景而は真緋路に従ってるみたいだった。あの時、俺も死ぬと思ったんだ。でも、真緋路が山辺景而を止めた。利害関係でも、あるんじゃないか」
園山はそう言うと、懐から一枚のくしゃくしゃになった紙を取り出し、それを末榎に押し付けた。
「何これ」
「真緋路がお前にこれを渡せって」
そう言うやいなや、園山は体を翻し、さっさと出て行ってしまった。曇天の下、冷たい風に曝されながら、末榎はその紙を見た。三つ折りになっており、それを丁寧に広げれば、黒いインクで一言、走り書きが書かれてある。
〈妹の命が惜しくば4月21日の夜の10時に春日公園に来い。〉
・・・・残念なことに私に妹はいない・・・。
末榎は心の中で呟き、そのメモを内ポケットにしまった。先ほど出てった園山に倣って屋上の唯一の出入り口、鉄製の扉から出て行けば、丁度良く雨が降り出した。




園山からメモを渡された時、その日は4月18日だった。妹が死のうが生きようが知ったことではない。っていうか妹はいない。姉ならいるはずだけど。と、そんな風に末榎は考えていた。もしかしたらその真緋路という奴が自分と姉を間違えているのではないか、とも思ったが、間違えることがありえない、とも思う。そもそも元の家族との縁は切れていた。末榎の家族は軍施設で育った同期の連中だけで、母や父の顔ですら今やうろ覚えである。そんな末榎に今更家族がどうとか言われても、正直あまり興味がないのだった。
そして、その4月21日、8時の頃。末榎は果物と栄養剤のみをとり、ハンドガンの整備をしっかりとしてから、グラディウスとソードブレイカーを腰のベルトに吊るした。携帯端末を心臓のちょうど真上に当たるように胸部に回したベルトのポケットに入れ、演習のために履き慣らした安全靴を履く。服は動きやすいように半袖のシャツとスパッツのみにする。どうせ厳重な服を着たとしても怪我するときは怪我するし、死ぬ時は死ぬはずだ。むしろ今こそこれから危ないことします、みたいに着こんで行ったら不味いのだ。末榎はなんとしても愛崎六月に自分がこれからどこかに行くのをばれないようにしなければならない。
結局、末榎は約束された場所に行くことにした。妹がどうなろうと、というのはあまり関係ない。人質がとられているのであればそれが誰であろうが助けるのが軍だと、それが人間だと、末榎は教わっている。
部屋の明かりを消し、ベッドの中にシーツを丸めたものを押入れ、末榎は窓から外に出た。万が一のことに備え、全ての部屋に緊急時の脱出用ロープが用意されているので、訓練どおりに静かに脱出ができた。
基本的に田舎なので、道を照らすのは十数メートル置きに設置されている街灯の灯りのみだ。身を低くして暗闇に隠れるようにして、末榎は走った。