NOVEL


Love . Love . Love

結局の所、認識が甘かったんだと思う。ずっとそういう『危ない人』に会ったらどうしよう、と怯えているようで、実際私はそれを他人事に捉えていた。というか、『会ったらどうしよう』と考えている時点で他人事だ。遭遇してないんだから。
だから―――――認識が甘かった。
その日、末榎は突如掛かってきた着信音で目が覚めた。末榎が好きな日本国出身のマイナーな歌手のバラードが、静寂に包まれた室内を無惨にも切り裂き、携帯端末が小刻みに振動する。設定は5秒にしていたのですぐ消えると思ったら、まったく途切れる気配が無い。こんな夜中に電話かよ、と苛々しながら末榎は電話をとった。
画面に映されている名前はクラスメイトの男子の名前であった。不承不承通話ボタンを押して耳に押し当て、「あいあい」と欠伸をしながら電話に出たことを伝えると、耳に伝わってきたのは荒々しい呼吸音だった。
ぜぇぜぇと苦しそうな呼吸の中で、途切れ途切れに「すえのぎ」、と少年の声がする。
「何、どうした」
ただ事ではないと判断し、ベッドから降りる。部屋の明かりをつければ、目が突然の灯りに驚いて眩んだ。
「頼む、助けてくれ」
「何?どこ?何があった?」
「D地区、お前の寄宿舎の近くの、あの・・・コンビニとうどん屋の・・・」
「うん」
そう、言いながら末榎は部屋の扉の隣に設置されてある緊急連絡用通達端末に、己の持っている端末の接合部を繋げた。スイッチを繋げて寄宿舎に住んでいる先生達に電話を繋げる。
今端末で行なわれている会話を記録すると同時に教師の寝ている部屋に直接会話が聞こえる、簡略放送である。教師の判断で寄宿舎生徒を全員叩き起こして現場に向かわせるかも決まる。
「その、裏路地だ・・・頼む。早く来てくれ。S級の犯罪者だ。身動きが取れない。マジで。ほんと、頼む・・・!」
「解った。解ったから」
「死にたくねぇんだよ・・・!」
「そりゃ皆そうだよ!大丈夫か、どうかは解らんけど、とにかく、すぐに行く!」
壁に設置されているスピーカーから、『3年生と2年生は戦闘準備をして玄関前に集合しなさい。3分後に出発します』と無機質な声が響いた。「死にたくない」と耳に張り付く声を振りきって、耳に押し付けたまま制服と一緒に置いていたグラディウスを掴み、そのまま外へと急いだ。
死にたくないだ?ちくしょう、頼む。無事でいろよ、くそ・・・!
末榎は知らず知らずのうちに、口が歪んだ。笑っているのだ。恐怖からではなく、それは込み上げる歓喜の叫びであった。震える手がグラディウスの柄を掴んだ。右手が得物を探している。彼女の本能がゆっくりと鎌首を擡げた瞬間であった。



末榎に電話してきたクラスメイト―――園山康永は末榎が受け取った電話のとおりに、宿舎の東側にあるコンビニとうどん屋の路地の間で蹲っていた。
宿舎に泊まっている3年B組衛生科の教師が近づくと、康永は蒼褪めた顔をばっと上げた。そこにいた己と同じ制服に身を包んだ生徒達を目にして、ようやくどっと涙を溢れさせた。唇は紫に染まり、緊張のせいか目が血走っている。うあああ、と悲鳴を上げて尾苗先生にしがみ付いた。教師は衛生科故か冷静に康永の頭を撫で、三年生達にいくつか命令した。教師の命令を受けて素早く立ち入り禁止のテープを向こう側と末榎たちが待機する通路の入り口に張り、近くに何か痕跡があるか探し始めた。
「もう大丈夫ですよ、落ち着いて深呼吸をしなさい。貴方の武器はありますか?大丈夫です。私たちがついています。さぁ、水を飲んで・・・」
背中を摩りながら、尾苗先生は康永を路地裏から引き摺りだした。康永が胸に抱きしめるように持つサイレンサ付きの拳銃が冷たく光っている。怯えた目が末榎と一瞬捉え、すぐに逸らされた。衛生班が持ってきた担架に乗せられ、康永は黒いバンに乗せられた。末榎は康永から目を離し、路地裏から漂ってくるどろりと濁った血の匂いを嗅いだ。すぐに奥を見てきた斥候科の三年生が、尾苗先生、死体があります、と蒼褪めた顔でやってきた。
「うちの生徒ですか?一般人ですか?」
「おそらく、一般人だと思います。若い女性です。その、顔が血塗れで分からなくて・・・」
「状態は?」
三年生の少年は一瞬入学したての一年生達をみやり、言いづらそうに答えた。斥候科だから、実際戦闘の一番前を行くべきなのに。しかし、驚くべきことに3年生になったというのに思いやりがあるのだ。兵隊に対して。まったくもっておかしくて仕方が無い。何を勘違いしているんだろう。私たちが向かうべきところは、その殺した人間のいる場所だというのに。
「顔が刃物でずたずたにされています。あと、どうやら目玉が深く突かれているようで・・・体に外傷はありません。金銭も奪われた形跡もありません」
「目・・・目潰し魔が・・・近辺に出ている情報があったな。指名手配にあったはずだが」
「これです。山辺景而」
情報科だろう、肩口で切りそろえた黒髪の三年生が、黒い携帯端末を尾苗へ見せた。画面に映っているのは先日見た眼帯の美丈夫だろう。末榎は心臓がかっと熱くなった。先日道ですれ違ったあの眼帯男。きっとあいつだ。飄々とした顔しやがって。二日で二人。一日に一人ずつ。ふざけたスピードで人を殺しやがって。この街で好き勝手にできると思うな。燃え滾るような憤怒が胃を熱くした。憎しみと同時に、あの時無様にも殺人鬼を逃した己が憎い。ふと横を見ると、六月が末榎のことを心配するような目で見ていた。艶やかな瞳が心配で揺れている。先走らないで、と唇が動いた。何もしないよ、と末榎が頷けば、ゆっくりと首を横に振った。それが一体何を意味しているのか、末榎には分からない。
「全員注目!第一の目的である園山準二等兵の回収は完了した!これより帰還する!なお、三年生はこの場に残り、現場検証を行なう!二年生が先導し一年生を連れて寄宿舎に戻れ!以上!回れ右!」
小苗の声により、二年生が一年生集団を囲むように配置を完了させ、寄宿舎へと歩んだ。灯りが灯され、裏路地の捜索が開始される。その灯りを見ながら、末榎達は冷たい空気の中ぞろぞろと寄宿舎へと向かった。街灯だけが頼りの暗い夜道を息を潜めての行進は、誰も口に出さずとも、その恐怖感がじわりじわりと中心から染み出していた。
末榎は考えていた。何故康永に怪我がなかったのか。そして何故、私に電話をかけてきたのか。
そもそも、康永と末榎は大して仲が良いわけではなかった。末榎は敵を作らない性質であったから、特に誰かから憎まれるということはなかった。だからといって康永とそれほど連絡を取り交わす仲ではない。むしろ康永が連絡をとるといったら、普通男子だろう。末榎が泊まる寄宿舎に康永と仲のいい男子は数人いた。
D地区にいるクラスメイトといわれて、咄嗟に出てきたのが末榎だったのか言われれば、その可能性は低い。
そして康永に怪我がなかったということ。それはつまり山辺景而に気づかれなかったということだ。
山辺景而の殺人行動から観測された山辺の動機は特にない。無差別殺人といわれていた。その山辺が康永を生かす、ということはありえないだろう。
しかし康永の「身動きがとれない」という言葉が分からない。あの裏路地は末榎から見るからに一直線だった。つまりどこかに隠れて、少しでも動いたら見つかってしまう、という状況ではないはずだ。康永は裏路地の入り口でがたがたと震えながら固まっていたのだから。
だから、山辺に見つかっているはずなのだ。だが何故かその山辺の目の前で電話をして、末榎に助けを求めるぐらいは許されていたということ。
何故だ?何故康永は――――いや、考えていても仕方が無い。
きっと正気を取り戻した康永が教師に全てを答えるだろう。私が考え込んでいてもどうにもならない。末榎はそう思考に終止符を打って、グラディウスから手を離した。右手が戦う機会を待って、その冷たい金属から離れるのを厭っていた。