NOVEL


Love . Love . Love

結局不審者と出会うこともなく、末榎と六月は普通に帰宅することとなった。学校から末榎達の住む寄宿舎は歩いて15分ほどかかる場所にあり、総勢60人前後の人が泊まることができるアパートのような形をしている。独立軍の軍人と同じような生活をすることを義務付けられており、朝は6時丁度に起床、消灯は0時と定められている。
育成教育学校に通う者の大半は孤児であり、親と住んでいる人は極少数だ。寄宿舎は町内では交番のような役割を果たしており、町内でどんな事件が起こっても、そこに近い寄宿生が解決することを義務付けられている。
教師も殆どが寄宿舎に泊まっていたり、有森市の軍寄宿舎に住んでいたりもする。完璧な武装町へとなっている谷津河町では、六月の言うとおり確かに犯罪者が自分から行動を起こすことは無い。
「警邏の仕事が始まってすぐに犯罪者と遭遇することなんてないよ」
「ですよねー」
びくびくしながら、しかし何事も起こらないまま寄宿舎の入り口に入り、末榎は後ろ手に玄関を閉める。春になって日が落ちるのも遅くなってきて、段々と暖かくなっている。風にのって既に散り始めている桜の花弁がひらひらと中へ入り込んでくるのを微笑ましく見つめ、六月は靴を脱ぎ、下足箱へと押し入れた。
「この後、末榎の部屋に行っていい?一緒にご飯食べよう?」
「おお」
末榎も続いて靴を脱ぎかけた途端、廊下の向こうからばたばたと荒々しい足音が近づいてきた。お?と動きを止めてそちらを伺えば血相を変えた3学年の男子生徒4人程度が走ってきていた。
下足箱に身を寄せて道を開ければ、ちらっとこちらを伺うもそのままスリッパを放置したまま靴を履いて外へ走り出ていってしまう。
「なんだろうね?」
その後ろ姿を見送りながら末榎が首を傾げる。「事故でも起こったかな?」
「・・・そうかもね」
「犯罪者が出たとか」
末榎の呟きに、先ほどまで出るわけがない、と言い切っていた六月もうん・・・とぎこちなく返答する。
「まぁ、現場も分からないし、3年生があんなに行くぐらいなら私たちが行っても足手纏いになるだけだし、まぁいいか」
「相変わらず、投げやりだね・・・」
末榎の無責任な言葉に苦笑を零し、しかし、だからといって六月もそれを咎めることはしない。
六月は末榎が無事ならばそれでいいのだ。
いつだって、いつまでだって。





軍に所属するからといって、全員が全員戦闘教育を受けているわけではない。大きく分かれて所属部署は三つに分かれており、通常の軍属として白兵戦や前線などで戦闘をする白兵科、情報のやり取りや後方支援、または捕らえた捕虜の拷問などを受け持つ情報科、潜入捜査やスパイなどを受け持つ心理科という種別になっている。
末榎は白兵科に配属されている。その上最も激戦地区によく入れられる、別の生徒から斬り込み部と言われる場所へつけられることが多い。
一番人が死ぬ確立が高いという危険な部隊だが、逆にそこへはかなりの実力を持った優等生が配属されることが多いので、他の部署と死亡確率はほぼ変わらないと言っても良いだろう。
昨年、末榎と同じ部署に配属されていた上の学年の者は、よく末榎のことを使い勝手のいい特攻隊と評していた。事実、末榎は『死亡しやすい場所』に対しての危機感がほぼ無いと言っても過言ではなかった。滅茶苦茶な激戦区へ行けと命令を受けたならば「無理無理無理です死にますって!」と叫びながらも何だかんだで結局行くような人間だ。軍属とはいえ、寸前で恐怖のあまり逃走する人間も少なくはなかったそんな場面でも、けして末榎は逃走しない。
それは末榎が軍に心酔しているわけでも、自分は強いから死なない、なんて考えているわけではない。
末榎は自分がどこでどうやって死ぬか、というイメージがまったくできないのだ。
人間はいつかは死ぬ。そんなことは分かっている。ただでさえ軍属であり、しかも下っ端である自分はいつどこで飛んできた鉛に頭部をぶち抜かれて死ぬとも分からない。殺気というものに人一倍反応しやすく、育成学校に入る前に身体能力を上げられてライフルや銃弾は反応できれば避けれるぐらいの反射能力があるとはいえ、気づかなければ死ぬ。
しかし、それはいつなのか?それが分からないのだ。
ああ、死にそうだな、なんてことは良く考えるのだが、末榎はそんなことを小さい頃から延々と思い続けて、結局一つの結論に思い至る。
『死ぬ死ぬと思い続けても結局今まで生きて来られてるんだから、死ぬ時が来るまで結局のところ私は死なないんだ』という暴挙のような考えに。
だから―――末榎は死ぬということに対して抗おうという考えが無い。ああ、これは死ぬな、と激戦地区を眺めながら思い、しかしそれでもそのまま突っ込んでいく。
そこに躊躇いや疑問はまったく無い。
そこで死んだならば、ああ、私はここで死ぬのか、で死ぬだろうし―――――、
そこで死ななければ、ああ、私はまた違う所で死ぬのか、と生きるだろう。
それ故に、末榎は幸運と言い切れない幸運と、それなりの実力を伴って16歳まで生きた。
往き続けて来た。
命令という名目で人を殺して殺して殺して、殺し続けた。
命令という名目で、自分を生かして生かして生かして、生かし続けてきた。
実際、親に捨てられたとき、末榎は死ぬところだったのだろう。それを、既に軍属の孤児院に拾われ、幼い頃から戦闘教育を受けされされ、生かされ続けた。
親がいなくとも、親代わりに孤児院の院長はいたし、軍部の大人たちも優しかった。幸せな家庭に生まれれば良かったのにな、なんて零す大人もいたが、末榎はもう生まれてきてしまったんだからしょうがないっすよと笑って答えた。
幼い頃から、末榎が親に対して抱く感情は哀れみだった。
要らない子供を腹に入れて、さぞ苦しかっただろう。重かっただろう。邪魔だっただろう。
殺さずにこの世界に産んだ貴方を、私は尊敬しよう。
大人たちがどれ程貴方を馬鹿にしようと、私は貴方達を褒め称えよう。
そんなところだった。訓練の苦しさに疲れても、どうして私を産んだんだ、なんても思ったりもしたが、最後に浮かぶ感情はやはり、哀れみだった。
きっと親は、まだ形にもなっていない、肉塊である私を殺すのが怖かったんだろう、と。
なんと優しい親だろうか。美しすぎて涙が出る。
末榎はかすり傷だらけの己の体を見ながら、思った。
幸せで居るだろうか。
私を捨てたんだから、幸せになってて欲しいなぁ。



「・・・・・・・・・うおお」
灰色の天井を見上げ、末榎は声を上げる。壁に設置されたスピーカーからは『6時です。今日の天気は晴天。8時までに登校、出勤してください。谷津河軍育成教育学校では、今日各科ごとの対面式があります。その後・・・』などと毎朝の放送が響いている。
むくりと体を起こせば、すぐ横の窓から燦々と太陽が室内を照らしており、室内の空気の埃が太陽光によって煌いていた。
末榎はのそのそとベッドから起きて、がらりと窓を開けた。冷たい朝の空気が室内に入り込んでくる。桜の木からはもはや花も散りすぎて、緑の葉が伺えるほどだ。なんと驚き早朝ランニングをやってきていた数人の学生を見下ろし、「よくやる・・・」とぼそりと呟いた。
1LDKの個室に設置されてあるシャワールームに、制服と着替えの下着を籠へ放り込みながら入り込み、鏡に映る寝ぼけ眼の自分自身を睨みながら素早くシャワーを浴びた。
15分も立てば見た目的にはすぐに登校してもいい格好で部屋に戻り、鞄の中のものを整理する。
やべぇ。課題やってねぇや。
今更な事実に愕然とするがもう遅い。とりあえず一通りの課題の部分に付箋を貼り付け、使わない教科書を取り出して、必要な教科書を入れなおす。
谷津河育成教育学校には食堂があり、軍の経費で食事が取れるので弁当を持つ必要は無い。昨晩、六月と一緒にとった夕飯の残りのサラダとチーズとハムを挟んだトースト、そして牛乳を胃に流し込み、部屋だとやる気が出ないだろうから、6時45分の状態で既に家を出る。
7時に学校につけばホームルーム開始の8時まで1時間の余裕がある。その間に間違っていてもいいから課題を埋めれば私の勝ちだ!と訳の分からないことを頭の中で叫びながら、鞄を背負い部屋を出る。窓を閉め忘れたことを思い出して一度廊下に出たが再び室内に戻るという無駄な時間を過ごし、行きがけに下階の六月の部屋へ寄る。
六月はどうやら朝食を取っている途中だったらしく、白い寝巻き姿のまま扉を開けて出てきた。
「課題終わってなかったから、先に学校に行ってる。私部屋だと集中できないからさ」
「えっ・・・じゃあ、私もすぐに行くから、ちょっと待って・・・」
末榎の突然の言葉に慌てて部屋の中に引っ込もうとするのを止め、末榎は困ったように笑った。この親友は変な所で真摯すぎる。きっとすぐに行くから、という言葉は食事も禄に食べずすぐに着替えてついていきます、という意味だろう。
親友の申し出を当たり前に断り、末榎はふわふわの六月の髪を眩しそうに見つめ、振り払うように手を振った。
「いや、いいよ。まだご飯食べてるんでしょ?じゃ、また、学校で」
話を手短に切り、末榎は六月の視線も忘れて誰もまだ出ていない廊下を走って行った。